自己紹介

卒業 44. 終わりに

44回に亘り、私の経歴を「卒業」というタイトルで投稿させていただきました。 振り返りって見れば「人生とは、大きな節目の中で死と再生を、繰り返していること」に改めて気付きました。 その「節目」とは、退職やコンサルが終了した時などで、それが「死 ( …

卒業 43. 本社移転

丹羽社長とお会いしてから2年後の平成19年12月7日、私の62歳の誕生日に広い空を求めていた夢が叶いました。 その事務所は、岐阜市と各務ヶ原市に囲まれた岐南町でした。この事務所も飛び込みで訪れたアパマンショップで紹介されたのがこの事務所でした。 此…

卒業 42. 広い空を求めて

飛騨地区で仕事をしていましたが、企業の数の面から考えても、コンサルという仕事に限界を感じていました。そんなことを考えていた時、友人とスナックに行きカラオケで、三波春夫さんの「元禄名槍譜俵星玄蕃」を歌いました。 偶然にもこのスナックに、岐阜県…

卒業 41. ISO9000認証取得

この「プロセス管理表」のもう一つのポイントは「ミス・クレーム発生時の対応策とミス・クレームの防止策」です。この対応策と防止策を、各プロセス毎に明確にすることで、医療ミスが発生しても、直ぐに対応することが可能となりました。又同じように各プロ…

卒業 40. 信号機

驚くことに、この全職員研修で一番出席率の高かったのは、看護師で次にドクターでした。その出席率は90%を超えたのです。 あるドクターから「この研修は本当に勉強になります。看護師は看護師として、技師は技師として、それぞれしつかりとした考え方を持っ…

卒業 39. 仕組みの見直し開始

この仕組みを見直すために、60人規模の幹部研修を行いました。この幹部研修の目的は「全職員で行う仕組みの見直しのリーダーを養成すること」です。 この幹部研修は6月から8月まで、毎月2回、17時から20時まで行いました。この研修では、リーダー、サブリー…

卒業 38. 問題点抽出

翌年3月に契約を結びコンサルを開始しました。この病院という業界は、ドクターをはじめ、看護師・レントゲン技師など、多くの職員が国家資格を持つ特殊な業界です。 そんな中、ドクター研修で強烈なパンチを受けました。このドクター研修は、2回に分けて行い…

卒業 37. 病院の活性化開始

この総合病院の研修開始から半年後の11月、病院長が研修を見学に見えました。そして「長い間求めていた仕組みはこれだ!」と言われ、握手を求めて見えました。それは、建設業のISO9000認証取得コンサルの時に、独自に開発した「プロセス管理システム」でした…

卒業 36. ISOコンサル開始

すきま風が吹いている所に「ISO」という暖かい春風が吹いて来ました。このホテルでのセミナーは大成功し、一週間で5社から仕事が来ました。 この時の多くのお客様は、建設関係の会社でした。その理由は、この頃、国土交通省が公共工事の指名に、ISO9000の認…

卒業 35. すきま風

この2年間の内、2年目の一年間は中国に没頭して居たことで、仕事が途絶えてしまい「すきま風」が吹き込んでしまいました。又一からの出直しです。 不思議なことに、この「すきま風」が、時代が求める新しい分野の仕事を連れて来ました。それはISO9000(品質…

卒業 34. 生産管理システム開発

一番問題であった、従業員の意識改革と不良率の低下は成功しましたが、この状態を安定させ、より発展させるためには「生産管理システム」が必要であり、そのためにWindows95を使用し作成することにしました。 当時、Windows95の日本版ソフトは販売されていま…

卒業 33. トンネルを抜ける

秋を迎える頃になると、不良率は大幅に下がり、品質低下により、顧客離れが起きていた状態から、脱する目処が立って来ました。 その第一歩が、6月に行った「活性化現状報告」です。この報告を行った先は「品質悪化により取引が解消されたお客様宛」です。発…

卒業 32. 一人っ子政策

4月のある日、中国の工場に出社し、工場内を廻りますと、幾つかのラインが止まっています。直ぐに工場長を呼び尋ねますと「今日は一人っ子政策の一環で、子供が一人いる従業員が妊娠検査に行っています」との回答です。 一人っ子政策の話は聞いていましたが…

卒業 31. 工場で倒れる

中国の工場で活性化に入って、8ヶ月が経過した8月2日午後3時頃、過労のために工場で倒してしまいました。この頃は、一人で活性化に取り組んでいましたので、時には工場に泊まり込みで仕事をしていました。 翌日の生産計画を立てるために、その日の生産結果に…

卒業 30. 押す文化と引く文化

中国では、時間を見つけては、工場の周辺をウォーキングしました。時が経つうちに住民の方と仲良くなり、時にはお昼ご飯もいただきました。そのお昼ご飯は「水餃子」です。日本では焼餃子が主流ですが、中国ではこの水餃子です。 10軒程の家で、水餃子をいた…

卒業 29. 手脂

不良品の分析を進めるうちに「手脂」による不良品が多発していることに気づきました。この「手脂」の不良品を生み出している最大の要因は「中国の風習で手を洗う習慣がないこと」でした。 この頃の中国は発展途上で、道路は幹線道路も未舗装の所が多く、雨が…

卒業 28. ファッション開催

活性化を初めて2ヶ月後の2月、従業員の意識改革を、もう一歩進めるために「ファッション」を計画しました。 この頃は、中国を行き来する飛行機の中でも「何か従業員を惹きつける方法がないか?」と、考え続けていました。そこで閃いたのが「ファッション」で…

卒業 27. 樽が決め手に

全従業員研修では、樽の組み立てと共に、側板に段差のついた樽と、段差の無い正常の樽の中に、其々水を入れ、その違いを従業員自身がコップを使い計りました。すると参加者から「ドッ!」と声が上がりました。( この樽については(株)飛泉のホームページ「…

卒業 26. 総経理就任

活性化に入り暫くすると、又大きな問題が発生しました。それは「何故コンサルタントの指示に従わなければならないのか?」という、私への不信感が生まれたのです。その要因は、北京や上海などの都市部では、コンサルタントという職業はあったと思いますが、…

卒業 25. 不良品の山

この工場では女性用のスーツなどを作っていました。活性化に入り、工場内の調査をはじめると、不良品が山となった倉庫が見つかりました。その不良品を見ると、右手にLサイズ、左手にMサイズと、考えられない不良品が山積みになっていたのです。 それを発生さ…

卒業 24. 国外退去の危機

名古屋空港を出発し、上海空港に着きました。そこからタクシーで揚子江を渡り、南通市の南通大飯店(ホテル)に入りました。この南通市は当時人口800万人で、日本から帝人、東レなどと共に、ドイツなど世界各国から、アパレル企業が進出し、活気に満ちていまし…

卒業 23. 夢の海外コンサル

独立してやっと、地元で活性化に取り組むことが出来る様になりました。不思議なもので、一社依頼が来ると、次から次と活性化の話が来るようになりました。 一人では仕事が出来なくなり、自宅を事務所にして、女性社員を一人雇用しました。 そして50歳の12月…

卒業 22. 講演の限界を知る

講演回数が、年間100回を超えるようになると、売上の大半が講演収入となり、本来の活性化の収入は、大幅に減収しました。この頃は、講演に胡座をかき、本来の仕事の、活性化の勉強を疎かにしていました。 この時、家内から「お父さん!講演はいつまで続ける…

卒業 21. 全国で講演活動

新潟県の糸魚川商工会議所からの講演は来ましたが、その準備を全くしていませんでした。早速、手書きで原稿を作成しましたが、その枚数は原稿用紙で120枚になりました。 さあ!これを原稿無しでどう講演するか?俳優さんが台詞を覚える心境です。客間で、家…

卒業 20. 樽式活性化法が各種新聞に掲載

露天風呂で「樽式活性化法」が閃いてから一年後の新春、飛び込みで東京の日刊工業新聞社を訪ねました。そこで応対して下さったのが、編集部の課長でした。一年掛けて作り上げた「樽式活性化法」を説明しますと、課長は「これは面白い」と言って担当者を呼ば…

卒業 19. 樽が閃く

独立して初めてのお客様の活性化では、世界で初めての「組織の役割を明確にした樽式活性化法」が閃いたり、10月16日の「まさか ⑴ 大統領訪問」で投稿しておりますが「日本とフィリピンの国交回復の礎を築いたり?」と、大きな夢に向かって羽ばたく、素晴らし…

卒業 18. 落ちこぼれ

活性化を進める上で、一番気を使うのは「落ちこぼれ」を出さないことです。この「落ちこぼれ」とは「活性化研修について来れない人やパワハラに会っている人のこと」です。 独立して初めての研修で、一人の従業員が、「パワハラ」でやる気を無くし、退職した…

卒業 17. 副社長就任

歓迎会の次の朝は、7時に出社しましたが、まだ誰も来ていませんでしたので、工場の周りを点検して回りました。8時から社長も出席して朝礼を行い、私を紹介して下さいました。独立して初めての仕事でしたので、凄く緊張しました。そして本格的な活性化が始ま…

卒業 16. 五段重ね

居酒屋で出会った都市銀行の方の紹介で、お客様とお会いしました。このお客様は、テレビの基盤などを、生産する会社の社長で、日本国内とともに、フィリピンや米国など、海外にも工場を持って見えました。今回、依頼があったのは、秋田県の工場の活性化でし…

卒業 15. 居酒屋仲間

半年後、営業部長に就任ましたが、さて!全く知らない土地で、どう営業をすればよいのか?本当に迷いました。 このビルの地下には、居酒屋チェーンが入っていました。ここでよく帰りに仲間と呑みましたが、この居酒屋で思わぬ出会いがありました。 一人で呑…