卒業 42. 広い空を求めて

飛騨地区で仕事をしていましたが、企業の数の面から考えても、コンサルという仕事に限界を感じていました。そんなことを考えていた時、友人とスナックに行きカラオケで、三波春夫さんの「元禄名槍譜俵星玄蕃」を歌いました。

偶然にもこのスナックに、岐阜県関市に本社を置く丹羽鋳造の丹羽社長が来て見えたのです。そしてこの三波春夫さんの「俵星玄蕃」が、夢としていた「広い空の岐阜」へ連れて行ってくれたのです。

この丹羽鋳造の活性化の軌跡を本にまとめました。その「伸びる会社の活性化の軌跡」の丹羽社長の「あいさつ」の一部です。

「平成17年の出会いは全くの偶然でした。その偶然が、当社を大きく成長させる要因になるとは、誰も想像もできないことでした。一連の投資金額が大掛かりな鋳造業である当社の場合、設備更新は一度にできないので、毎年少しづつ実施し、ほぼ必要な更新は、前年までに完了しておりました。社員も私が入社した当時の30人から50人弱に増えていましたので、人財に投資しようと考えていた時の出会いでした。活性化研修と言われても、鋳物会社を行った企業の実例があるわけでもなく、研修概要の書類と、言葉による説明があるだけで、具体的なイメージは全く分からない状態で、この研修は下裏さんの熱意にかけてスタートしました。中略

研修で作り上げた仕組みは、今なお形を変えて継続しています。例えばコミニュケーション管理システムとしてスタートした福利厚生委員会は、慰安旅行・忘年会・新入社員歓迎会などを企画し、それまで50%ほどの参加率であった各種イベントは、全て90%を超えるまでになりました。また、作業環境管理システムは5S活動に大いに活かされ、鋳造業としては、日本全国で上位の環境を維持しています。

飛泉様からは、色々な提案と協力をいただきながら、今もお付き合いをさせてもらっています」

     偶然は  天が与えし  夢の道

   仰げば青き  空が広がり

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