卒業 23. 夢の海外コンサル

独立してやっと、地元で活性化に取り組むことが出来る様になりました。不思議なもので、一社依頼が来ると、次から次と活性化の話が来るようになりました。

一人では仕事が出来なくなり、自宅を事務所にして、女性社員を一人雇用しました。

そして50歳の12月、38歳の時、人生計画で描いた「海外でのコンサル」という夢の話が来ました。

そのお客様は、中国と飛騨市で縫製業を営んで見え、その工場の活性化依頼でした。中国の工場は従業員数550人、飛騨市の工場は40人でした。

さて、言葉も文化も違う中国での活性化の依頼に迷いました。東京に行き、仲間に相談しますと「中国は共産主義の国や。言葉も分からない所での、活性化は失敗するからやめろ」と言われました。

そこに両親からいただいた、性格と射手座・B型が顔を出し「やれやれ!海外で仕事するチャンスは二度とないぞ」とささやいたのです。もうこれを止めことは出来ません。依頼があってから10日後、中国での活性化開始を翌年の1月21日として、12月23日に契約を交わしました。

中国での活性化まで一ヶ月もありません。活性化開始の挨拶だけは、中国語でしたいと友人の高山別院照蓮寺の三島輪番にお願いし、お正月も中国語の勉強に通い、何とか中国語で挨拶が出来るところまで漕ぎ着けました。

母から「お前は天に生まれるという天生で、天生金山という金山で、そして産まれた日に東南海地震が起きた。何でも自信を持つて生きろ」と口癖のように言われ、この言葉に洗脳されて育ちました。

不思議なことに、母の洗脳通り、中国の活性化に出かける前の1月17日の朝「阪神・淡路大震災」が発生したのです。この時、活性化は必ず成功すると確信しました。そして20日名古屋空港から中国に向けて出発しました。

   あら不思議 母の洗脳 ズバリ当て

    節目の地震  やる気揺すりて

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