卒業 31. 工場で倒れる

中国の工場で活性化に入って、8ヶ月が経過した8月2日午後3時頃、過労のために工場で倒してしまいました。この頃は、一人で活性化に取り組んでいましたので、時には工場に泊まり込みで仕事をしていました。

翌日の生産計画を立てるために、その日の生産結果に基づき、計画を立てるという作業を、罫紙を使って作成しました。この作業が終わるのは、時には12時を周り、朝は生産ラインをチェックするために早く出社しました。

又この頃は、地元のお客様もあり、一人で地元のお客様と中国の工場を、時には月に2回往復しました。

この過労が限界に達し、工場で意識を無くして倒れてしまったのです。そして気が付くと、新しく買った董事長の車に乗せられていました。周りには30人ほどの幹部社員が、心配そうに覗いています。私が気が付いたと気づくと拍手が起こりました。

そして南通市の病院に着くと何と!驚くことに、幹部社員30人ほどが、車を取り巻いていたのです。病院は沢山の患者で一杯でした。董事長が病院側と話し合ったのでしょうか?直ぐに診察室に入りました。診察が終わると点滴をすることになりました。その時驚いたのは、針の使い回しです。董事長が医師に新しい針に変えるように指示しましたので安堵しました。

点滴は廊下で患者を運搬する台車の上で行われました。多くの患者は、下に何も敷かない廊下での点滴です。

この点滴のお陰で、元気を回復し、ホテルで3日間休み4日目から出社しました。

4日目の朝出社すると、玄関には沢山の従業員が迎えてくれました。涙を流し、ハグして来る人、万歳をする人など凄い歓迎に感動してしまいました。後から聞く話では「私が日本に帰り、もう中国に帰って来ない」という噂が広がっていたのです。それが4日目で元気に出社したのですから皆んな驚いたのです。

この驚くような歓迎は、活性化を進める大きな力になりました。この日から従業員の私を見る眼が、信頼という眼に変わって来たのです。

「災い転じて福となす」という諺がありますが、正にこの「工場で倒れる」という災いが、諺通り「福」に変わったのです。

    人生は 心の中に 飛び込めば

     国境越えて  笑顔溢れて

f:id:swnm8:20210102223708j:image

昨夜、高山別院照蓮寺様参道で撮りました