自己紹介

卒業 14. 夢の道

30年間待ち望んだ「コンサルへの夢の道」が開けました。この会社は、社員数28名で、麹町の新宿通りにあり、周りには都市銀行があり、皇居の半蔵門まで約1kmでした。東京にいる時は、毎日皇居周辺をウォーキングしました。この頃は、バブル経済の始まりで、東…

卒業 13. 父の死

ゴルフ場を退職する一年前の12月20日、父が倒れ、26日に亡くなりました。享年72歳でした。倒れるまで、指圧師として元気に仕事をし、看病をしたのは一週間のみでした。この時、私は42歳でした。 男の厄年は、前厄が41歳、本厄が42歳、後厄が43歳と言われ、こ…

卒業 12. 人生計画

38歳の時、知人に誘われ、6日間の「自己研鑽と人生計画を立てる」という研修に参加しました。この研修では、私の人生を大きく変えるような貴重な体験をしました。 その一つが「人生計画を作り、この計画がコンサルの道を開く、大きな道標になったこと」です…

卒業 11. 名前を変える?

40歳の時、親に付けていただいた「靖彦」という名前を「祐司」に変えました。なぜ変えたのか?そんなに簡単に変えれるのか? 名前を変えたのは、借金地獄に陥った時です。知人の紹介で、藁をも掴む思いで、名古屋市の易の先生を訪ねました。その方から「この…

卒業 10. ゴルフ場勤務

この頃は、コンサルになるには、色々の業種を経験したいという思いがありました。そこに「高山にゴルフ場建設」という話が舞い込んだのです。 高山観光ホテルを退職すると、飛騨信用組合の専務理事から「高山カントリークラブ」を紹介されました。このゴルフ…

卒業 9. 飛騨めでた

このホテルは高山市が大口株主で、支配人就任の挨拶に、市長の所に行きました。そこで市長から[ 東京のホテルニュージャパンで起きた火災により、ホテルの安全を保証する「適合マーク」を取らなければならなくなった。その施行は来年4月からだ。どうしても…

卒業 8. 支配人就任

借金まみれになり、この状態を案じて、沢山の方が応援して下さいました。新しい勤務先として、高山市で一番歴史のある「高山観光ホテル」を地元の大手会社の社長が紹介して下さいました。 このホテルを紹介して下さった社長は、このホテルの非常勤役員で、低…

卒業 7. 借金地獄

直ぐに同業種の会社から再建の依頼がありました。この頃、前の会社の再建が成功したことで、有頂天になっていました。この再建依頼に、何の調査もせず、一つ返事で引き受けてしまいました。この自己過信から「借金地獄」のどん底に突き落とされました。 飛騨…

卒業 6. コンサルへの道

経営コンサルという「新しい道」を歩むためには「会計の基本を知ること」と、父の友人からアドバイスをいただき、会計事務所に勤務しました。 再建計画を作成する時は、5年間の経営分析を行いましたが、決算書を作成する方法は全く知りませんでした。決算書…

卒業 5. 飛騨信退職

15年間勤めた「飛騨信用組合」を退職することにしました。その理由は、中学2年の時に出会った、父の友人の影響です。この方は、第二次世界大戦の戦友で、東京で経営コンサルをされていました。 父もこの方に憧れ、経営コンサルを夢見てみえたようです。しか…

卒業 4. 就職

両親から保護されていた状態から、独立して社会人として責任が問われる「飛騨信用組合神岡支店」へ「就職」し、実社会への仲間入りをしました。保護状態から卒業し「いのちの願い」との戦いの始まりです。正に「死」の意味の「甘え」からの「別れ・決別であ…

卒業 3. 洗脳

私は4歳の時「肺炎」にかかり、約半年間生死をさ迷いました。両親の心労はいかほどであったか。大変な心配を掛けしました。お陰様で両親の「早く回復し、元気になってくれ」との願いと「元気になって、両親を安心させ、社会に役立つ人間になりたい」という…

卒業 2. 誕生

私は姉妹に囲まれ、昭和19年12月7日、母の「胎内」を「卒業」し、この世に産まれました。驚くことに、この日午後1時36分、三重県沖を震源地とするマグニチュード7.9の大地震「東南海地震」が発生しました。 私が産まれた岐阜県飛騨市河合町天生は、この当時…

卒業 1. 節目

長い人生の中で、沢山の「節目」を経験して来ました。喜び溢れた「節目」もあれば、苦々しい「節目」や悲しい「節目」もありました。この「節目」を「卒業」という形で捉えてみました。 先日、この「卒業」のブログを書きました。少し内容が不安でしたので、…