両親から保護されていた状態から、独立して社会人として責任が問われる「飛騨信用組合神岡支店」へ「就職」し、実社会への仲間入りをしました。保護状態から卒業し「いのちの願い」との戦いの始まりです。正に「死」の意味の「甘え」からの「別れ・決別であり、「いのちの願い」への「再生」です。
この「いのちの願い」を叶えるために「飛騨信用組合神岡支店」では、朝早くから夜遅くまで、寝食を忘れて一生懸命に働きました。
この「いのちの願い」を叶えるために、良き支店長・次長とお会いしました。このお二人からは、社会人として生きて行くための、厳しい「指導」を受けました。
その「指導」の基本の一つは「お客様のために、全力で尽くすこと」2つ目は「そのために経営の基本をしっかりとマスターすること」3つ目は「自分が信じたことは、迷わず突き進むこと」でした。
特にお客様の再建計画の稟議書を上げると、支店長から言われたことは「下裏君が再建出来ると信じるなら承認しよう」と言われました。私は「必ず再建出来ます」と答えますと、支店長は「俺も出来ると思う。何でも自分を信じることだ!」と言われたことが、今も忘れることが出来ません。
この支店長は、当時支店長と常務理事を兼務され、後に理事長になられました。次長は後に専務理事になられました。
この支店長・次長との出会いが、「いのちの願い」としていた「コンサルの道」を決定付けたと言っても過言ではありません。
人生を歩んで行く上で、一番大切なことは「いのちの願い」を明確にし、それを信じ、一歩一歩確実に、歩むことの大切さを改めて思い知りました。
人生は 己を信じ 歩む道
出会いし人が 時に磁石と
高山陣屋で撮りました。