卒業 5. 飛騨信退職

15年間勤めた「飛騨信用組合」を退職することにしました。その理由は、中学2年の時に出会った、父の友人の影響です。この方は、第二次世界大戦の戦友で、東京で経営コンサルをされていました。

父もこの方に憧れ、経営コンサルを夢見てみえたようです。しかし突然の失目で、その夢は絶たれました。

私は経営コンサルに興味を持ったと同時に「父が果たせなかった夢に挑戦したい」と、いつも思っていました。正に「いのちの願い」です。

この夢に挑戦するために「飛騨信用組合」を退職することにしました。33歳でした。家内は大反対でしたが、父が「靖彦 ( 改名前 ) は経営コンサルになりたいと思い続けている。どうか、このわがままを聞いてやつてくれ」と母と二人で頭を下げられたのです。家内は渋々承諾しました。

退職の挨拶に理事長の所に行きますと「経営コンサルの道は厳しいぞ。君が再建に取り組んで来たことは、これから必ず役に立つ。どんなことがあっても諦めるな。君なら必ず経営コンサルになれるから」と励ましの言葉いただきました。

そして最後に「君の送別会を準備する様に、総務部長に言っておいた。私は出席しないが、専務以下男子職員全員が参加するから楽しんで下さい」と言われました。役員の退職でも行われなかった、男子職員全員の送別会が計画されたのです。

「死」の意味の一つ「退く・退職」は、経営コンサルという「再生」への道を歩む、キッカケとなったのですが、それは想像を絶する厳しい道でした。

   退職は いのちの願い 夢を見て

    茨の道を  歩む知らねど

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穂高連峰です。21日(土)に撮りました。