人生の並木道 青年期編 ⑶

不思議にもこの父から託された夢は、歳を重ねれば重ねるほど、重くのしかかって来ました。父は自宅で開業しましたが、私が高校に入学すると、神岡町の市内で開業しました。毎日父の手を取り、バスで高校に通いました。

高校を卒業し、飛騨信用組合神岡支店に就職しました。この飛騨信用組合で働いたことで、経営コンサルの基礎を学ぶことが出来たと感謝しております。

この飛騨信用組合神岡支店では、良き上司に恵まれました。この頃の神岡支店は、まだ開店して2年で、支店長は常務理事を兼務されていました。支店長の方針は

①経営が悪化したお客様の面倒を見ること。

②お客様の相談に乗れる力を付けること

③再建まで出来る力を付ける付けること

でした。

支店長の期待に応えようと、若さに任せ色々なお客様の所に、飛び込んで行きました。そして沢山の再建計画書を作成し提出しました。支店長は全て承認され、融資を実行することが出来ました。後から聞いた話ですが「心配なお客もあったが、下裏君の熱意に負けたよ。それが又正解だったよ」と。

そして27歳の時、他行に勤めていた家内と結婚しました。結婚しても、仕事が優先で、子供のことは全て、家内に任せました。正に超仕事人間でした。

そして28歳の時本店へ転勤となりました。そこで与えられた役職が「本店の預金・為替などを総括する係長」でした。この席は課長職が座る席でした。28歳の若さで、こんな重要な役職が与えられるとは、夢にも思いませんでした、この時は色々な業務改善に取り組みました。懐かしい思い出です。

続きは明日

    父の手が     二人の世界     つくり上げ

            一歩の歩み      命託して