人生の並木道 中年期編 前期 前半 ⑴

今日から中年期編の前期  前半 ( 31歳〜35歳 ) を7回に亘り連載させていただきます。

この中年期は激動の時でした。1つは「飛騨信用組合の退職」2つ目は「会計事務所就職・木工会社出向」3つ目は「総務部長・常務取締役・専務取締役就任」など短期間に沢山の職業と役職を経験したことです。このような経験が出来たことは、実務経験として、経営コンサルとしての基礎づくりに大いに役立ちました。

飛騨信用組合は33歳の9月30日に退職しました。何故退職したのか?それは「経営コンサルとして自立するには、会計事務所に勤務し、会計業務の基本を勉強すべき」との父の友人から助言をいただいたからです。

この決断に家内は大反対をしました。何故なら「ひだしん」に居れば安定した生活が出来、支店長も目前でした。この時、父と母は家内に「靖彦( 旧名 ) は経営コンサルの夢を描いている。どうかこの夢を叶えてやってくれ」と深々と頭を下げられたのです。家内は「分かりました」と言い、部屋に閉じ籠ってしまいました。この時、一番苦しまれたのは両親でした。父から「これからは茨の道が待っているぞ!決して負けてはならん。信じた道を一所懸命歩めば、必ず道は開く。美ちゃんを泣かせてはならんぞ!」と大きな釘を刺されました。

退職届を出し、受理されれ、理事長と専務理事に挨拶に行きました。理事長から「下裏君はサラリーマンでは収まらないと見ていた。経営コンサルはまだ飛騨では珍しい仕事だ。全面的に応援するから頑張りなさい」と有難いお言葉をいただきました。

そして驚くことに、専務以下、男子職員全員が参加しての、送別会をして下さいました。勤務年数15年余りの33歳の若造に、何十万円というお金を掛けての送別会は、前代未聞の出来事となりました。

この時は「希望と不安が入り混じり、後引けない崖っぷちに立った心境」でした。この心境は一生忘れることが出来ません。

 続きは又明日

         新しき    道を求めて    踏み出せば      

            後に弾けない    淵に立たされ