人生を生きる上で、この「心配してくれる人」が、居るか、居ないかで、人生の充実度は大きく変わって来ると考えます。
この「心配してくれる人」の代表は、両親や家内・子供達と社員そして友人です。両親は亡くなりましたので、今は家内と子供達と社員・友人です。
私は岐阜で仕事をし、単身赴任をしていますので、家内のことが心配で、一日に10回以上電話をします。何故なら、新型コロナウイルスの感染で外出を控えるように言われていることから、家内は家の中に籠っていることが多いからです。
一日中テレビだけ観て、過ごしてはボケが心配になります。それを少しでも防ぐために電話をしているのです。
私は毎日ブログを投稿していますが、これは健康を「心配してくれる人」への「健康ですよ!」とのメッセージです。
歳を重ねて来ると、年々喪中葉書が多くなります。元気だ!と思っていた人が、喪中葉書で亡くなったことを知り、ショックを受けることも多々あります。
60代には「心配をしてくれる大切な友人」を亡くしました。最後の言葉は「私の最後を見届けて!」でした。この言葉から一週間後に息を引き取りました。この重い言葉に戸惑いましたが、無事にこの思いに応えられたことに感謝しております。
沢山の人と出会い、教えを受けて来ました。この多くの人に感謝しながら、これからも沢山の「心配してくれる人」と出会って行きたいと願っております。
心配は 掛け合い漫才 喜びも
共に案じて 絆深まり
飛騨の匠の雲(家紋)に月が覗きました。