『先日、息子が呑み会に行き、迎えの電話が入りましたので、指定の場所へ迎えに行きました。しかしその場所に息子は来ていません。約10分ほど待ちましたが、しびれを切らして帰ってしまいました。後から分った事ですが、どうやら私が指定の場所を間違えたようです。このようなことはよくある話ですが、待つ身と待たせる身には天と地ほどの開きがあります。
最近の国会運営を見ていますと「国民の待つ身を本当に分かっているのか?」と腹立たしくなることがあります。船出したばかりの民主党ですから、多少の我慢はしなければなりません。しかし仕分け作業を公開で行ったように、もっと情報の公開をしなければ、少しづつ国民の我慢も限界になるのではないでしょうか。ただ、自民党が国民の待つ身を解決してくれるか。それは多いに疑問です。
このことは、私自身多いに反省しなければならないことです。人を待たせていると云うことに、ただ気付いていないだけで、知らない間に日々発生しているのかも知れません。改めて待つ身・待たせる身の恐ろしさを考えさせられました。』