「人生は出会いで決まる」第7回

『今回は昭和62年1月、東京のコンサル会社に入社してからの話です。田口さんの会社は社員数23人で経営コンサル会社としては中堅どころでした。会社は千代田区麹町にあり、新宿通りに面し皇居の半蔵門まで歩いて10分ほどの所でした。

私は入社早々総務部長を命じられました。そして給料は50万円・住む所は会社の向かいにあり20数年前で月15万円と云うマンションでした。皇居が近いためいつも警察官が巡視にきました。大変リッチな待遇で入社しましたが仕事は本当に厳しいものでした。全くコンサルタントの経験がない私は、最初はどこか違う世界に入ったような感じでした。

それから高山にもあまり帰らず無我夢中で勉強しました。東京での3年間は私の大きな大きな節目の時でした。東京でまず驚いたことは、人の歩く足の速さが凄く速いことでした。仲間から「下さん足が遅いぞ」といつも注意されました。この時気づいたことは、東京のサラリーマンは飛騨と違い何事もテキパキとこなすと云うことです。私は、まず速く歩くために朝6時に起き毎日皇居を一周しました。このお陰で3ヶ月後には足が遅いとは言われなくなりました。この皇居を一周しながら、この東京で一度は講演したいと夢を描いていました。この夢も6年後の平成5年11月東京商工会議所の中央支部で講演をし、その夢を叶えることが出来ました。平成4年から樽式活性化法が全国の商工会議所・法人会などで脚光を浴びました。

平成5年3月には樽式活性化法が東京商工会議所の東商新聞に3回連載されました。この東商新聞の連載と東京商工会議所での講演が知名度を上げ、北海道から九州まで全国で講演することとなりました。この田口さんとの出会いがなければ今日の私はありません。この東京での3年間の勉強が経営コンサルタントの道をあゆむ為の基礎を造り上げました。出会いとは本当に不思議ですね。』