孤独

高齢化社会を迎え高齢者の「孤独死」が問題になっています。残念ながら、核家族化が進めば、よりこの「孤独死」は増えることになります。

全ての生物は、命を与えられれば、必ず「死」は訪れ、消滅していきます。そしてこの「死」は、誰も伴らうことなく一人で死んで行かなければなりません。家族など多くの人に見送られて一生を終わるのか?誰の見送りもなく一人で一生を終わるのか?終わるという意味では変わりはありません。

ここに横たわるのが「孤独」という大きな塊です。この「孤独」という塊が、その人にどれだけ大きな障害物になっているか?知人と師とする人の亡くなられる姿を見てつくづく思い知りました。

動物は死を迎えると、自らが死を悟り、仲間から離れ、身を隠して静かに死んでいくと言われます。何故?生物の最高峰に立ち、霊長類である人間が、自分で死を悟り、静かに死んでいくことができないのでしようか?少し不思議な気がしてなりません。

私は縄文時代が大好きで、青森市の「三内丸山縄文遺跡」や長野県茅野市の「尖石縄文遺跡」などを見て回りましたが、死という考え方が、現代とは大きく異なっているのではないか?と気づきました。

それは「与えられた命は必ず消滅するのが自然の原理である。」という精神社会が確立されていたのではないかということです。正に死を悟り「有難うございました」という感謝の思いで、亡くなられていかれたのではないでしょうか?

これと比べると現代社会は、医学の進歩によって、「死を悟り、死に感謝する」ということが、忘れ去られ、死が恐ろしい魔物のようになっているのが残念でなりません。

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