長い旅路 12. 我慢

「我慢」という言葉は、上に立てば立つほど、お重い意味を持つと考えます。何故ならこの「我慢の糸が切れる」とも言われるように、この我慢の糸が切れ、爆発すると、時には社員の人生をも潰してしまうことにも繋がるからです。

私は20代の頃はよく我慢の糸を切らし、言い方を変えれば、我慢の糸がいつも切れていたのです。我慢することが出来なかったのです。その最大要因は「自分が一番正しい」という「自己過信」の塊だったからです。

上司からは「下裏君お前さんの言うことは間違ってはいない。しかし皆んなお前さんのレベルではないのだ。決して自分が一番正しいという自己過信にだけには陥るな」とよく注意されました。しかし直ぐに自己過信の塊が顔を出ししまい、部下からは嫌われました。

歳を重ね、今はやっとこの自己過信の塊が顔を出すことは少なくなりました。何故なら社員が立派に育ち「信じて、任せて、感謝する」という心境になれるようになったからです。

WBCの栗山監督も「試合中は選手を信じて、任せて、感謝する」と言われました。これは「我慢」と闘い、悩み、苦しまなければ生まれてこない言葉です。

これからは「我慢という糸」を決して切らさないように、この我慢を明るい笑顔で封じ込めて生きていきたいと思います。

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高山市の東山遊歩道で撮りました。