乗り物 4. 船

船で旅したのは、カーフリーで伊豆七島の「新島」に行った時だけです。夜、晴海埠頭を出発し、朝、新島に着きました。約10時間余りの船旅でした。外洋に出ると波が荒くなり、少し船酔いをしました。

「何をしに新島へ?」実は飛騨の偉人を東京の劇団にお願いし、高山文化会館のホールで上演しました。第1回は、手足なき聖人と言われた中村久子女史を「我が名ふるさと命恋せば」という演目で、第2回は、江戸時代に起こった農民一揆大原騒動の本郷村善九郎を「紅の山河」という演目で行いました。

そして第3回目が、同じく大原騒動で新島に島流しにあった「飛騨んじい」こと「上木甚兵衛」を計画し、それを調査するために3泊4日で行きました。

ネット「著名人のお墓」には次のように載っております。

「飛騨んじいと息子の物語 : 上木甚兵衛」

「大原騒動で新島に流罪となった甚兵衛。彼は飛騨国の酒造家であったが、時の悪政幕府にたまりかねて上訴したために、島流しの身となったのだった。農民たちは彼のことを親しみと敬いの気持ちを込めて「飛騨んじい」と呼んだ。この父を追って子の勘左衛門が、自らも新島行きを願い出て、幕府から許可を得て父の死去まで面倒をみたという。息子は父を慕うあまり、自分の石像を造って父の墓に並べている。いつまでも父の菩提をとむらいたいと、坐像には経文をつめてあるのだそうだ。島民で知らない人はいない、父と子の物語である。古い時代にはこういう墓所はちょっとない。石像と墓、ユニークではあるが哀れである」とあります。

このお墓にお参りして驚いたことは、中学生が毎日交代で、掃除をし、花を供えてお参りしていることでした。この新島は島流し流刑地であり、沢山の流刑者のお墓があります。その中で「飛騨んじい」をはじめ、大原騒動で流された人々のお墓全てを、同じように掃除をし、お花が供えられていたのです。如何に島の人々に慕われたのか、本当に頭が下がる思いでした。

残念ながら、諸事情から上演の夢は叶いませんでしたが、先人の素晴らしい生き方を学ぶ良き機会となりました。

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ネットの写真を借用しました。

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