「飛騨の先人に学ぶ」の第二回は大原騒動で島流しに遭われた「上木甚兵衛」です。
大原騒動については第一回で書きましたが、この「上木甚兵衛」も「本郷村善九郎」と同じ安永の一揆で「農民に加担した」との罪で東京都新島村に島流しになりました。
この上木甚兵衛を第一回の「紅の山河」と同様に「飛騨ん爺」として公演を計画し、40歳の時東京の劇団長と脚本家の三人で新島まで行って来ました。
夜9時に晴海桟橋を出港し、朝9時に新島に着きました。新島村教育委員会の教育長のお迎えを受け、島の案内と自宅で宿泊のお世話までしていただきました。
まず案内されたのは上木甚兵衛や大原騒動で島流しにあった人達の墓地でした。そこで驚いた事は「お墓は綺麗に掃除がされ、綺麗なお花が飾られていた事」です。
教育長から「このお墓の掃除やお花の手入れは全て中学生が毎日行っています」と。何と250年前の飛騨の先人を中学生がお墓のお手入れとは?何がそこまで先人を引きつけるものがあるのか?を教育長に尋ねますと「上木甚兵衛は、飛騨ん爺!と親しまれ、村人の相談事や子供達の教育指導するなど、その功績は大きく、その御恩に報いるために、今もお墓の掃除などをしております」と聞き本当に驚きました。
滞在は二泊三日でしたが、お墓に手を合わせますと、島の子供達が「飛騨ん爺!飛騨ん爺!」と付き纏う姿が眼に浮かびました。
飛騨ん爺と 子らが寄り添い 村人の
笑顔溢れて くさや香りて