「先人を偲び 春の京都巡りを楽しむ」下

かにかくに物はおもわず飛騨びとの、打つ墨縄のただ一道に


『“かにかくに物はおもわず飛騨びとの、打つ墨縄のただ一道に”やっと万葉集に納められている、飛騨の匠を歌った和歌を思い出しました。作者は詠み人知らずです。

昨日も良い天気に恵まれ、三十三間堂・蓮華王院、知積院(ちしゃくいん)、八坂神社、建仁寺建仁寺禅居庵、銀閣寺・東山慈照寺平安神宮様を御参りしてきました。三十三間堂・蓮華王院様は二回目になりますが、一千一体の千手観音様のお姿にただただ合掌するのみでした。 知積院様では、桃山時代の画家長谷川等伯の国宝「楓図・桜図」などが特別公開されており拝観しました。「桜図」は、等伯の長男長谷川久藏25歳の作で、完成して一年後26歳で亡くなったと聴き人生の虚しさを感じました。そして父等伯は、翌年「楓図」を完成させたと聴きました。父と子の魂が宿した楓図・桜図にただただ感動しました。

建仁寺様では、一番楽しみにしていた国宝「風神雷神図屏風」は、今日(20日)、年一回の「開山栄西禅師ご生誕・慶讃四頭茶会」の準備のため拝観することが出来ませんでした。本当に残念でしたが、法堂(はっとう)の天井に創建八百年を記念して、平成十四年に画かれた小泉淳作画伯の「双龍図」を拝観しました。暗い法堂に2匹の龍が躍動する姿に感動しました。

銀閣寺様では、足利義政公の住まいであった国宝「東求堂」が、特別公開されており拝観しました。堂内の「四畳半書院同仁斎」では、その座敷に座り庭を眺めました。五百年と云う時を超えて、先人が座ったと同じ場所に座り、景観を楽しめることに感無量になりました。

平安神宮は、明治28年に平安京が定められて千百年を記念して、平安京の正庁・朝堂院の様式を模して造られました。ここで驚いたことは、創建当時は、今の2倍の規模であったと云うことです。今の規模でも圧倒されるのに、この2倍の規模の建物を想像すると先人の偉大さに頭が下がるばかりです。

この他に残念なことがもう一つありました。それは都おどりが見えなかったことです。見えなかったその理由は、家内の「見ない!」の一言です。私は舞妓さんや芸者さんの素晴らしい踊りを楽しみにしておりました。家内の前で祇園に酔い、鼻の下を少し長くしたのが要因でしょうか?。神社仏閣を御参りに行って、少し現世に戻り過ぎたのも要因でしょうか?。 やはり京都は雑念に惑わされることなく、静かに神仏を通して自分自身と対話する所です。やっとそのことに気づきました。しかし一度祇園の料亭で、一杯頂くのが夢です。又現世に戻ってしまいました。祇園は別として、ぜひ又京都・奈良の神社仏閣を御参りに行きたいと思います。』