「先人を偲び、春の京都巡りを楽しむ」上

『昨日・今日と2日間、家内と京都に来ております。昨日は爽やか春風が吹く暖かい良い天気に恵まれ、最高の旅日よりとなりました。今回は家内が、ぜひ行きたいと言っていた渡月橋に行き、嵯峨野からトロッコ列車で亀岡まで行きました。

トロッコ列車の車内には5個の裸電球が灯り、トンネルに入れば車内は薄暗くなります。この薄暗い裸電球の中にいると、二十代の頃、登山に行きよく泊まった北アルプスの山小屋を思い出しました。このトロッコ列車の23分間に、若き日の思い出が走馬灯のように駆け巡りました。

終点亀岡から保津川の川下りを楽しみました。川下りは二人とも初めての体験で良き思い出になりました。この日は保津川の水量が多いとのことで、船足は速く、水しぶきを浴びながら船旅を満悦しました。この川舟は30人乗りで満席でした。16キロを約1時半かけて下りますが、まだ河辺には桜が咲き、新緑と相まって素晴らしい景観を楽しむことができました。

私は古都京都や奈良へ行きますと、一千数百年前に飛騨から都の造営に出かけられた、飛騨びとの姿が思い浮かびます。建築のプロとして、その補佐として年間に100人近い人が、毎年租税の代わりとして、京都や奈良へ出かけ都の造営にあたられました。この先人の汗の結晶が、古都京都や奈良の都を造り上げたと思うと感無量になります。

この頃の飛騨の人口は三千人ほどと云われ、その中の百人ほどが都に出かけたと云うことは、飛騨の匠の技術力の高さを示すものであると同時に、都の文化が飛騨に入り、都に負けない仏閣を飛騨の各地に造り上げた大きな力になったと考えます。しかしその反面、働き盛りの男性が百人も欠けると云うことは、残された人の苦労は、想像にあまりあるものがあります。

今日は宿泊先のホテルから歩いて三十三間堂清水寺などを、先人の威徳を偲びながら御参りして参ります。』