墨壺 ⑼ お正月

お正月がやって来ました。女衆は朝早くから、お雑煮やおせちの準備で、てんてこ舞い舞をしています。昨夜も沢山の雪が積もり、雪は降り続いています。男衆は、かんじきやバンバを使って、家の周りや道の雪掻きに大忙しです。

やっと、ひと段落すると、お爺ちゃんは神棚の前で、祝詞を上げ、皆んな頭下げてお詣りをしました。お爺ちゃんが正座に座り「新年おめでとう。今年も皆んな元気で、良い年となることを願うておる。さあ!ご飯をいただこう」皆んな大きな声で「おめでとうございます。いただきます!」と言い、皆んなでおせちやお雑煮をいただき、どぶろくも出て、男衆は皆んな美味そうに呑んでいます。

「お父さん!お雑煮のお餅が白くないわ。少し黄色い感じよ」「お母さん!この頃は、餅米は大変貴重なお米だったの。だからヒエや粟を混ぜて杵で突き、餅にして食べたのさ。お母さん!清助さんが神棚に、おせちとお雑煮を供えてくれたよ。指矩さん、手斧さん!頂こう」「まぁ!美味しいわ。お父さん!どぶろくもあるわよ。さあどうぞ」「お母さんに注いて貰うと又一段と旨くなるね」「そう。嬉しいわ。沢山呑んで下さい」「指矩さん、手斧さんもどうぞ」

こんな会話をしていると、お爺ちゃんが正座をしました。何か大切なお話があるようです。お父さんも私も、どんな話があるのか?少し緊張して聞いていますと。「皆んなよく聞いてくれ。今年の秋の獲り入れが終われば、飛鳥の都へ普請に行かんならん。そしてもう一つは、杉崎の御大尽から、菩提寺建立の話が来た。見たこともない大きなお寺様で、何か都に建つ「法隆寺様」というお寺様にそっくりだそうだ。これから高山や国分・古川の御大尽が、皆んな菩提寺を建てられるとの話がある。俺にも仏教とは何か分からんが、有難い仏様をお祀りするお寺様だそうだ。清助!お前はこらから、沢山のお寺様を建てることになるだろう。こんな光栄なことはない。よいか!心してかかれよ」「お父さん!清助さんの身体が少し震えているわ!」「それはそうだよ。誰も見たことのない、大きなお寺様を建てるのだから」

7世紀後半から8世紀中頃にかけて、飛騨では飛鳥の都を彷彿させるような寺院が、17ヶ寺も建っていました。その伽藍は法隆寺を小さくしたような伽藍で、その内の15ヶ寺が高山盆地に3ヶ寺、国分・古川盆地に12ヶ寺が建つていました。

「お父さん!凄い数のお寺様ね。誰がこんなお寺様を建てるお金を出したの。そしてこれを建てる建築技術を、お爺ちゃん達は持っていたの?」「お母さんさん!良い質問。まずこのお寺様を建てるお金だけれど、この頃の飛騨には、金山や銀山などの鉱山が沢山あり、又檜、楢・橅などの原生林が有って、それを元手に御大尽が、古墳や菩提寺をつくったのさ。もう一つ、何故「飛騨の匠」が、都の建築技術に負けないような、技術を持っていたのか?その技術力をどのように取得したのか?それはお父さんにも分からないんだ。その技術力が都で評判になり「飛騨の匠」という称号をいただけたのだから凄いね」「本当!これから清助さんの活躍が楽しみね」

そんな話をしていると、お父さんはどぶろくが回り、うとうととして来ました。私とお父さんは、朝から抱き合って休みました。

万葉集の飛騨の匠を歌った歌です。

   かにかくに 物は思わじ 飛騨人の 

     打つ墨縄の  ただ一道に

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杉崎廃寺伽藍復元想像図です。こんな大きな伽藍が、飛鳥時代には15ヶ寺も高山市飛騨市にあったとは驚きです。