墨壺 ( 11 ) 仏教伝来

「お父さん。墨壺と仏教伝来とは関係が深いようね」「そうだよ。聖徳太子様が、仏教伝来に力を入れられたのは、大きな願いがあったからだよ。その願いとは、豊かな国造りなんだ」「なぜ仏教が入って来ると国が豊かになるの?私には解らないわ」「その一つが墨壺だよ。もし仏教が入ってこなかったら、墨壺もなかったんだよ」「知らなかったわ!」「お母さんにもしっかり勉強して欲しいから書いて渡すよ。よく読んでね」お父さんが書いている間、私はこつくりこつくりと居眠りをしていました。「お母さん。出来たよ」と言って渡されたのは次のような手紙でした。

この仏教伝来には、反対派の物部氏と賛成派の蘇我氏の争いがありました。結果として物部氏が敗れ、蘇我氏が大きな力を持つようになりました。その力を表すものの一つが、日本史にも出てくる「石舞台」です。この仏教伝来では、沢山の韓国、中国などの渡来人が来ました。この渡来人の人達が教典と共に仏像、それを収める仏閣、その建物を建てる建築技術、そのための道具など、直接仏教に関係する物以外に、沢山の物と知識が入って来ました。この他に漢方薬などの医療技術、韓国料理、中国料理などの料理、韓国や中国の宮廷で使用されていた宮廷衣料、雅楽など色々な文化が、仏教伝来とともに入って来ました。

聖徳太子様が一番望まれたのは、この大陸文化の導入でした。この大陸文化を日本に合うようにアレンジして、世界に誇る日本文化が生まれたのです。この仏教伝来は良いことばかりではなかったのです。この頃中国で広まっていた天然痘が、日本に入って来たのです。そしてこの天然痘が広がり、沢山の人々が亡くなるという悲しいことも起きました。一説にはこの天然痘が、全国的に仏教が広がる一つのキッカケになったとも言われます。

ではなぜ、都の建設に飛騨の匠が「匠」として優遇されたのか?それは飛騨は山国であり、材木は豊富で、その材木の独自の使い方を、縄文時代から長い年月を掛けて、仕組みとして作り上げていたからです。中国で鋸もカンナも押して使います。日本とは全く反対で、逆目になって綺麗に切れないし、削れないのです。日本は鋸もカンナも引くことで、綺麗な材を作ることができるのです。これは全て日本人が考えた素晴らしい知恵です。特に飛騨の人々は、この技を使うのに優れていたから「飛騨の匠」として特別扱いされたのだと思います。

「お父さんは本当に色々なことを良く知っているわね。お父さん!これがラブレター💌 なら嬉しいな!。まだ一度もラブレター💌を貰ったことないから」「お母さん。毎日抱き合って寝てるんだから最高だよ」「そうね。ごめんなさい」

「お母さん!こんな歌が出来たよ」

         御仏が 海を渡って 倭の国へ

               心を癒し  国を豊かに

「良い歌ね!本当に心が癒されるわ」そしてお父さんと抱き合って、夢の世界に入って行きました。

f:id:swnm8:20200411004526j:image

京都東本願寺様で撮りました。