飛騨の先人に学ぶ

このブログもお陰様で、今日で200回となりました。まずは1000回を目標に頑張りますので宜しくお願い致します。

今日から私が多くの影響を受けた飛騨の先人を「飛騨の先人に学ぶ」というタイトルで投稿させていただきます。

郷土の先人の生き方に感動し、40歳の時スポンサーとなつて劇団の公演までやってしまいました。高山市文化会館で東京の劇団にお願いし、第一回は[手足無き聖人中村久子女史を「我が名ふるさと命恋せば」]という演目で行い、2回目は[大原騒動で若くして非業の死を遂げられた本郷村善九郎を「紅の山河」という演目で、2日間に各4回公演しました。

3回目は[大原騒動で新島に島流しにされた上木甚平兵衛」を計画しておりましたが、家族の反対に遭い行う事は出来ませんでした。

「演劇をするなど、何故そこまで先人の生き方に心酔するのか?」と仲間からも問われますが、これは先人の血が流れており、止める事が出来ないのです。

この他に飛鳥時代法隆寺釈迦三尊像の作者「止利仏師」や「飛鳥時代に活躍した飛騨の匠」などを計画しておりました。今回は演劇は諦め「飛鳥時代に活躍した飛騨の匠」は「墨壺」というタイトルで小説を書いております。

その中から3人の先人から学んだ生き様を投稿させていただきます。

   先人の 苦労の上に 今日があり

    積り重ねて  明日の栄と

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日本三大美祭と言われる高山祭りの夜祭です。