「飛騨の先人に学ぶ」の第三回は「手足無き聖人」と言われた「中村久子さん」です。この中村久子さんは両親に次ぐ人生の師です。
中村久子さんとの出会いは、父が42歳で失明し、岐阜県立盲学校を卒業し、指圧師として独立してからです。父が吉城郡身障者協会の吉城支部長をしていた時、中村久子さんが協会の高山支部長でした。この協会の会合に父に同行した時、よく中村久子さんとお会いし、お話もさせていただきました。
何を思ったか?知りませんが、40歳の時、中村久子さんの生き方に感動し、高山市文化会館で「中村久子女史遺品展」を開催し、そして「我が名ふるさと命恋せば」という演劇を東京の劇団にお願いし、高山文化会館小ホールで4回公演しました。
これをご縁に当時真蓮寺住職三島多聞さん(現在:高山別院輪番)を会長、私が事務局長で「中村久子女史顕彰会」を立ち上げました。
不思議なことに、中村久子さんの一生を描いた「生きる力を求めて」の映画を撮影する時、東京で主人公のオーディションを行いますと、この方の祖父が河合町出身と聞き、余りのご縁に驚きました。
中村久子さんから学んだことは下記の教えです。仕事でも私生活でも、壁にぶち当たりますと、この中村久子さんの言葉を思い出し、壁を乗り越えることが出来ました。
中村久子さんの詳細は「中村久子女史顕彰会」のホームページをご覧下さい。
人生に絶望なし
如何なる人生にも
決して絶望はない