飛騨の先人に学ぶ ⑴ 善九郎

「飛騨の先人に学ぶ」の第一回は江戸時代中期に起きた大原騒動で18歳という若さで非業の死を遂げた「本郷村善九郎」です。

今から35年前の40歳の時、私が主催で「善九郎」を描いた「紅の山河」という演目で東京の劇団にお願いし、高山文化会館大ホールで4回公演しました。何故この様な事をしたか?と言いますと「善九郎」の生き方に心酔したからです。

本名は「善九郎」ですが、上宝村本郷( 現在:高山市上宝町本郷)の生まれであったことから通称「本郷村善九郎」と言われます。この善九郎の辞世です。

   寒紅は 無常の風に 誘われて 

    蕾し花の  今ぞ散り行く

16歳の妻と身篭った子供の事を思って読んだ句です。

飛騨の国は江戸時代、金森藩の領地で6代続きましたが、幕府が飛騨の豊富な木材、金・銀などに目を付け、天領となり、代官・郡代が江戸時代末期まで「高山陣屋」で飛騨を治めて来ました。

この大原騒動は1771年から1788年までの18年間に起きた、明和・安永・天明の3回の農民一揆を総称して、この時の郡代の名をとり「大原騒動」と言います。

善九郎は安永の一揆で罪を問われ、十数名が磔や獄門・打ち首となり、その一人が善九郎です。

こんな逸話が残っております。余りにも見事な辞世の句と打ち首となる時の覚悟の姿に介錯者も涙したと伝わっております。

飛騨の民を思い、家族を犠牲にして亡くなられた善九郎のお姿に唯々手を合わせるばかりです。 合掌

   先人の    命を賭けた  闘いを

    乗鞍の峰  今日も微笑み

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乗鞍岳様が「よいか。先人の多くの犠牲の上に今日がある事を忘れるなよ!」と語りかけて下さいます。