墨壺 ⑵ 出会い

棟梁は飛騨河合村天生(あもう)の生まれで、大柄で背丈は6尺余りあり、誰もが一目置く存在でした。歳は今年35歳油が乗った働き盛りです。家族は元棟梁のお爺ちゃんとお婆ちゃん、お母さんと子供は15歳の長男を頭に男女5人の9人家族です。代々大工の家系で、12歳で手代として飛鳥の都の神社仏閣の建築に携わりました。子供の頃から神童と言われるほど機転が効く頭の良い子供でした。この神童が飛鳥の都で、法隆寺の釈迦三尊を制作した同郷の「止利(鳥)仏師」と運命の出会いをします。

この頃、都で仏教が盛んになり、大きな仏閣が各地に造られていました。この頃の止利仏師は各地の仏閣から本尊など沢山の仏像の依頼があり、てんてこ舞いの状態でした。その腕前は素晴らしく神の手などと、もてはやされていました。

この止利仏師も天生の生まれでした。お父さんが仏閣の建築材を仕入れに来て、地元の女性との間に産まれたのが、止利仏師と言われます。又月ヶ瀬である女性が川に写る月を飲み産まれたのが、止利仏師とも言われるなど色々な伝説が伝わっています。

「お父さん!天生という所は、天に生まれると書くだけあって、本当に不思議な所ですね。私達がタイムスリップしたのも、この天生とは本当に不思議ですね」

「お父さん。棟梁が止利仏師と会ったのはいつだったかしら?」「お母さん。忘れもしないよ。法隆寺の本堂の建築に携わっていた時、偶然に止利が棟梁に声をかけて来たんだよ」

「お前の顔といい、言葉といい、飛騨の生まれかい」棟梁がうなずくと「やっぱりそうかい。いい腕してると思ったよ。名前は?」「ワシは天生生まれの清助で、皆んなは清よと呼びやす。どうぞ宜しくお願いしやす」「そうか清よか、覚えて置くよ」こんな会話から始まり二人は同郷のよしみから仲良くなって行きました。

「お父さん!やはり出会いで何が生まれるか?分からないわね。私達も素晴らしい棟梁に出会って本当に嬉しいわ。こんな歌が閃いたわ」

  いつの世も 出会いし人が 道を決め

    墨壺夫婦  伽藍夢見て

そしてお父さんと私は仲良く抱き合って休みました。

この続きは10日に一回程度で掲載したいと思います。
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大工さんの三種の神器です。