私は仏壇 ( 4 ) 匠の技

飛騨も過疎が進み、神社仏閣の維持が難しくなっている地域もあります。「飛騨の匠が、精魂込めて建築した神社仏閣が、朽ち果て野ざらしになるのは、目に余るものがある」と、信心深い下さんにしてみると、耐えがたいことなのです。もう一つ残念なことは「新しく建築される神社仏閣が少なくなり、飛騨の匠の技が廃れて行くこと」です。

この朽ち果て行く神社仏閣を解体することで、飛騨の匠の技を学ぶことが出来ます。特に木組の技は機械化が進み、段々と捨てれていっておりますが、この神社仏閣を解体することで、その技を学ぶことが出来ます。

では、この神社仏閣を何処に移築し保存するのか?が大きな課題になります。下さんは、飛騨の古い民家を集めた「飛騨の里」の様に「飛騨神社仏閣の杜」として整備し、その中に、飛騨の匠の技術を学ぶ「飛騨の匠学園」をと考えて見えます。

飛騨の匠とは、神社仏閣などの建造物ばかりでなく、春慶塗や一刀彫など様々な飛騨の匠が活躍して見えます。この飛騨の匠の技を伝承するには、神社仏閣は最高の教材です。

下さんがいつも言われることは「見る夢は叶えられ、見ない夢は叶えられない」です。私「仏壇香」も伝統工芸の塊です。是非、この大きな夢が叶い、飛鳥時代まで遡る、飛騨の匠の技が後世に残ることを願うばかりです。

                  続く

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高山市東山遊歩道にある「宗猷寺様」です。