昨日、友人の高山別院の三島輪番にお会いし、本堂でお参りしました。その本堂に三島輪番が書かれた、写真のような言葉が、目に止まり嬉しくなりました。
[今の私が大事に生きて行けるのは「お陰さま」のおかげ、「おかげさま」という心に、心底からの 、潤いが生まれる]
飛騨では、日常の挨拶に「まめなかな( お元気ですか ) 」と声をかけます。そして返す言葉が「お陰さまで」です。このお陰さまと返す言葉の基は、飛騨の風土にあると考えます。
飛騨は雪国で、今はその雪の量は大幅に少なくなりましたが、昔は2mを超える雪に囲まれ、孤島と化していました。
こんな生活環境の中では、互いに助け合わなければ、生きて行くことができません。その助け合いの柱が信仰心に繋がり、飛騨には部落の多くに神社と寺院があります。
「何故こんな小さな部落に寺院が」と不思議に思いますが、それが厳しい生活を生き抜く「お陰さま」という心の支えだったのです。
三島輪番からこんな教えをいただきました。
[ 荒城の月の歌詞の中に「…巡る盃 影さして」の、この影とは、光が差している状態を言い、お陰さまとは、光をいただくことです。観光とは、光を観ることであり、この光とは「文化」を指します。 ] と教えていただきました。高山に観光客が多いのは、この光「飛騨の文化」を求めて来ていただけるからだと気付きました。
改めて「お陰さま」の言葉の重さを思い知りました。
お陰さま 返す言葉に 笑みが湧き
心潤い 生きる力と