「江戸街道を美女峠に訪ねて!」


『昨日は家内・長男・長女・次男家族で高山市久々野町の美女高原にバーベキューに行って来ました。この美女高原は海抜830メートルあり、水芭蕉の群生地(写真)としても有名で、美女ヶ池から眺める乗鞍岳は最高です。昨日は最高気温21℃で風もなく、暖かい行楽日和でした。孫達はスワンボートに乗ったり、釣りをするなど大はしゃぎでした。

この美女峠にはこんな伝説があります。「昔、この峠に八百歳を越えてもなお若々しい比丘尼(びくに)が住んでいました。辻の池の主(大美蛇の化身)とも云われ、目も覚めんばかりの美女であったところから美女峠と呼ばれるようになりました。」とあります。この峠は江戸街道とも呼ばれ、野麦峠を経由し、信州を通り、江戸と飛騨を結ぶ(約337キロ)大切な官道でした。物の移動も盛んで、日本海でとれた魚は、塩漬けにして高山に送られ、それから信州に運ばれ、「飛騨ぶり」と呼ばれました。今も飛騨ではお正月には塩ぶりを食べる習慣が残っています。この道は、映画「ああ野麦峠」の糸引きの女工が岡谷へ行くために通った道でもあります。

又この道は高い年貢に苦しんだ農民の直訴の道でもあります。江戸時代中期に起こった大原騒動は、老中への籠直訴を行い、全員が牢死や死罪となり、総計一万人の人が罪を問われたと云う飛騨最大の一揆でした。安政の大原騒動で18歳の若さで、この一揆の首謀者の一人として斬殺された、本郷村善九郎の辞世の句は“寒紅は無情の風にさらされて、つむぎし花の今ぞ散りゆく”とあります。農民で18歳の若さでこれだけの辞世の句を詠まれるとは、その学識の高さにただただ驚くばかりです。江戸街道と云う多くの歴史を秘めた美女高原で、多くのことを学ぶことができました。』