「人生は出会いで決まる」第18回

『平成6年11月、生産管理ソフト開発の話しが出て、高山市に本社を置く高山電子計算センターの清水さんにお願いしました。このソフトの設計は私が担当し開発しました。Windows95の中国版は翌年3月に発売されました。そしてNECのパソコンで稼働を開始しました。この頃の中国はまだ電力状態が悪く、1日に何回も停電しパソコンにも悪い影響を与えました。このソフト開発には3ヶ国語が使われました。まず日本語→英語→中国語に変換されました。このためなるべくソフトの直しをしないように細心の注意を払い設計しました。そして8月ソフトは完成しました。NECの中国支社はまだ中国版Windows95を生産始めた時で、私達がその第一号を使用したと聞きました。このソフトは縫製業界に大きな影響を与えました。このソフトに注目したのはアパレルの大手メーカーです。ソフトが完成した翌月からはこの大手メーカーから大量の受注が入り業績は順調に伸びて行きました。そして私は平成7年11月1日1年10ヵ月の活性化を終わり日本に帰りました。この会社は今岐阜県でアパレル業界の上位にあり、素晴らしい業績を上げて見えます。この日中合弁会社の活性化で、私はこのように多くのことを学ぶことができました。』