「人生は出会いで決まる」第16回

『以前は全く無かった工場視察が、この頃から月に3社ペースになり、試作品依頼も来るようになりました。そして平成6年5月に各アパレルメーカーに活性化報告とファッションショー実施効果・5S活動の現状などを文章化し発送しました。それは驚くような効果を生み出しました。そして、この案内状を出しますと工場視察は大幅に増加しました。そして冬物の試作品依頼が増加しました。そして量産製品の受注へと変わりました。その受注量は目を見張る程でした。さあ大変です。生産計画をしっかりと立てなけば受注に対応出来なくなりました。

この頃から日本での仕事が一区切り付き始めました。同時に私が本格的に管理しなければ、日中合弁会社は回って行かない状態になっていました。毎日が戦場のような忙しさです。平成7年7月に入ると約2週間は中国に滞在するようになりました。当初の契約は1週間でしたから、倍中国に滞在することになりました。そこで行ったのが「生産管理システム」の仕組み作りです。全く仕組みと云う考え方がない中国の幹部社員にどのように指導すべきか迷いました。そこで行ったのが毎月の生産計画の達成率でライン長・サブライン長・ラインメンバーの給料体系を決める飴と鞭方式です。この方式は社員のやる気に火を付けました。』