「案内状」が功を発し、大手アパレルメーカーの常務・部長が、「来社」されたのです。工場を案内しますと、余りの変わり様に驚かれ、直ぐに発注をして下さいました。そして業界の会合で、紹介して下さり、それが反響を呼び、沢山の方に来訪していただきました。
このお陰で、真っ暗なトンネルの中で、探し求めていた「一条の光」が、差して込んで来ました。この「一条の光」を頼りに、何とかトンネルを抜けることが出来ないか?孤独との闘いが始まりました。
当時は、高山の自宅を事務所にして、女性社員を一人雇用し、コンサルの仕事は、全て一人で行っていました。この頃、夢見ていたことは「パソコンによる生産管理のソフトを、中国の工場に導入すること」でした。この頃、Windows95の日本語版が発売され、是非、Windows95の中国版が発売されれば、それを使って「生産管理ソフト」を作りたいと、夢の様なことを考えていました。
そのための準備も始めました。先ず、「作業日報・生産計画書」など、全ての書類を、ソフト化出来る様に、一つひとつ様式にまとめて行きました。この作業をすることで気付いたことは、「従業員から文書として、報告を受けることは難しい」と知ったことです。これも「一党独裁」の、「影」がちらほら見えていたからです。
このことから、文書による報告は諦め、全て「数字による報告方式」としました。しかし、この数字から、従業員の心の悩みを探ることは、なかなか難しいことでした。
続く