絶望 ⑵

その出会いから20数年後の40歳の時、中村久子さんの次女、中村富子さんの協力をいただき、高山市文化会館で私一人で「中村久子女史遺品展」を開催し、小ホールで、中村久子さんの一生を描いた「我が名ふるさと命恋せば」という演劇を、東京の劇団にお願いし行いました。今思えば何故こんなことをしたのか?不思議に思われてなりません。

そこで、中村久子さんとご縁が深かった高山別院三島輪番と知り合い、その後、三島輪番が会長、私が事務局長で「中村久子女史顕彰会」を立ち上げました。

43歳で経営コンサルタントとして独立しましたが、今日までの道のりは山あり谷あり、絶望の余り自殺を考えたこともありました。そんな時、中村久子さんの「人生に絶望なし 如何なる人生にも 決して絶望はない」の、この言葉に救われました。

今回の東京パラリンピックを中村久子さんがご覧になれば、何と言われるのでしょうか?そんな思いに浸りながら、パラリンピックのテレビ中継を観ております。

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演劇で作成したポスターです。同郷の貼り絵画家にお願いしました。