手足無き聖人と言われた、高山市出身の中村久子さんの言葉に「人生に絶望なし 如何なる人生にも 決して絶望はない」とあります。今回の東京パラリンピックを観ておりますと、中村久子さんの「絶望」という、この言葉が重くのしかかって来ます。
私が中村久子さんに初めてお会いしたのは高校生の時でした。中村久子さんが高山市身体障害者協会の会長で、父が吉城身体障害者協会の会長でした。その関係で父はよく高山市身体障害者協会に打ち合わせに出かけました。何時も母が一緒に行きましたが、この時は母の代わりに私が一緒に行きました。
初めてお会いした時の印象は、今も忘れる事は出来ません。それは、鋭い眼で私の心の中を覗かれる様な感じがしたことです。中村久子さんのことは、色々父から聞いていましたが、私が描いていたイメージとは全く違っていました。
生き地獄を経験された中村久子さんの姿が、私の心に焼き付き、なんともしれない恐れと感動を受けました。
中村久子さんの詳細は、HP「中村久子女史顕彰会」をご覧下さい。
続く