今回の入院で知ったことは「手すり」の有難さです。車椅子でトイレに入れば「手すり」に助けられ、お風呂に入る時も「手すり」に助けられるなど「手すり」の有難さを思い知りました。
健康な時は、階段の上がり下りには「手すり」を使いましたが、それ以外は余り使うことはありませんでした。
自宅に帰ると、この「手すり」は階段とトイレにあるのみです。此処にも「手すり」があればいいな!など今になって反省しております。
この「手すり」はハード面の「手すり」ですが、ソフト面の「手すり」の重要性も思い知りました。父は42歳の時失明し、今思えば、母と私が父の「手すり」の役割をしていました。
しかしこのソフト面の「手すり」が本当に役立っていたのか?父は「此処に手すりがあればいいなぁ」など口には出しませんが、常々思っていたのではないか?と思うと胸が痛くなります。
実体験をしなければ、どんな事でも、その有難さを知ることは出来ません。改めて「手すり」からハード・ソフト面の「手すり」の大切さを学ばせていただきました。
今になり 手すりの重さ 思い知り
父の面影 手すり映りて
病院のお風呂です。