墨壺 ⑶ 顔相

「お父さん。令和の時代の人から見ると、天生の人達の顔は彫りが深いわねぇ。どうしてかしら?」「本当に彫りが深いね。これは縄文人の名残が濃く残っているからだと思うよ」「お父さん。縄文人の名残りてなぁに?」

「令和の時代の大多数は弥生民族なんだよ。この弥生民族は農耕民族でタイやベトナムなどの南の国から来て、稲作を教えてくれたのさ。令和の時代、ベトナムの人の顔を見ても余り違和感はなかっただろう。みんな同じ血が流れているのさ。このように弥生人の顔は余り彫りがないが、縄文人の顔は彫りが深いのさ。その縄文人の血が濃いのが天生の人達だからさ」

「お父さん。何故天生の人達は縄文人の血が濃いの?」「それは山深い所だったからさ。稲は暖かい南方の作物で寒い所では作ることができなかったんだ。こんな雪の多い天生では稲作は絶対無理だったんだよ。だから弥生人は入ってこなかったのさ。このことから天生をはじめ、飛騨では縄文人のDNAを持つ人の割合が高いのさ。

「ではお父さん。縄文の人達はどんな生活を送っていたの。教えて!」「縄文の人達は栗やどんぐりなどを、主食にして食べていたんだ。そして野ウサギや熊も食べていたんだ。この縄文時代の人達は何百年にも亘り、争いことが無かったというから、本当に不思議だね」「本当ね。令和の時代は世界中何処かで争いが起きていると言うのに」

「お父さん。この天生は雪深いと聞いたけれど、どれだけ積もるのかしら?」「令和の時代とは、想像も出来ない程降ると思うよ。覚悟しないとね」「お父さん、恐ろしいこと言わないで」

「天生わね。10月中頃から雪が降りはじめ、11月中頃には20尺(6m)を越え、完全に雪に閉ざされてしまうのさ。この沢山の雪の中で生活するには本当に大変たろうね。特に建物を雪の重さに耐えるためにどうしたらよいのか?を色々考えて、飛騨の匠の技が生まれたのだと思うよ」「飛騨の匠の技は生活の知恵から生まれたのね。本当に凄いわ」

「お母さん。もう一つ大切なことがあるよ。それは木と木を組んで行う木組みという技術を持っていたんだ。この木組みは本当に凄い技術だよ。この話は又明日にしよう。さあ寝よう」そしてお父さんと木組みのように抱かれて休みました。