目隠し

私は小学5年生の時、父が失明してから、母と姉と共に父の目となりました。私が中学2年の時、父は岐阜県立盲学校を卒業し、指圧師として開業してからは、父の目となって、毎日自転車に乗せて、神岡町山田という坂の多い地域を走り回りました。

先日、本家のお墓詣りに行ってきました。そして自転車で下った道を走りましたが、まあ!こんな急な細い道を、よく父を乗せて下ったものだと、背筋が寒くなりました。私が今、逆の立場であつたなら、果たして、どんな心境になるのでしょうか?

失明とは目隠しした状態であり、私は今、一時として目隠しをして生活することは出来ません。

しかし私達は「目という目隠し」以上に、もうと恐ろしい「目隠し」をしているのではないでしょうか?。その「目隠し」とは「自分を知ろうとしないこと」です。研修ではこんな質問もします。「自分の潜在能力がどれだけあるか?考えたことがありますか?」と問いかけますと、多くの人は「潜在能力が何か分かりません」との答えです。

私が考える潜在能力とは「先天的に持っている能力」で、それを引き出すには、経験知という力を借りなければ引き出し、活かすことは出来ないと考えます。

今日もどんな潜在能力という宝物があるのか?一生懸命に経験知という力を借りて探し続けています。

       潜在の    宝探して     旅重ね

         足元見れば      黄金輝き