人生の棚卸 ⑶

母は大変気丈夫な人で「私が働いて子供を育てるから安心して勉強して!」と父に言っていました。

父は2年後盲学校を卒業し指圧師として私達を育ててくれました。卒業式では父が卒業生代表で答辞を、母が父兄代表で謝辞を述べ、地元の新聞などで話題になりました。この卒業式で父は岐阜県知事から表彰され「少しお母さんに恩返しが出来た」と喜んでいました。又父は「失明して中村久子さんという素晴らしい方と出会えたし、眼では分からない、耳からの様々人の声を聴くことが出来る。有難いことだ」と言っていました。私は40歳の時、手足無き聖人と言われた中村久子女史顕彰会を発足し、今も事務局長をしております。父の影響がこんなところにも出ております。

私はこんな家庭環境の中で育ちました。経営コンサルという父から託された夢に挑戦し、歳を忘れて元気にその夢に挑戦出来ることに感謝しております。

   歳忘れ   夢を追いかけ    振り返りや

              父の享年    三駅先とは

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