語り十題 

「語り(小話)をはじめます」
小話と言うと落語家からクレームが付くかも知れませんので「語り」にしました。
ではこれから語りを始めます。

『飛騨での挨拶の一つに「又語らまいかなぁ。」があります。「まあ漬け物でもかじりながら話しをしましょう。」と言う意味です。松原さんにこの語りの話しをしますと「社長、語りとは人を騙すと言う意味ですよ。」と言いました。それじや飛騨の人は「又人を騙さまいかいなぁ」と言ってるのか?本当に言葉難しいですね。
9日にPETに行って来ました。この話しを研修に参加した人に話しますと「先生、先日柴犬の〇〇ちゃんが3匹の子供を産みましたがひどい難産でした。それで先生のところのペットは犬ですか?猫ですか?」PETの余りの変わりように見るに見かねて、松原さんが「〇〇さん、社長が言っているPETとはガン検査のごとですよ。」やって本論に戻りました。

ガン検査に行ったのは長野市の長野PET・画像診断センターです。別に体調に異常があるわけではありませんが、今年12月に35歳を迎えることから一つの節目としてガン検査を受診しました。

この検査の結果は20日頃に送られて来ます。家内は「結果が出るまで心配。」と言いますが、私は「俺がガンになるのなら、新インフルエンザで半分の人が死ぬと同じや。」と思っています。しかし強がりを言っていますが、内心は少し心配です。強がり言ってスミマセン。おわり』


「業界の壁が無くなる。」
『えらい時代になりました。自動車は自動車のディーラー(販売店)で販売されるものと思っていましたが、昨日新聞を見ますと「スーパー・ヤマダ電機など」が、自動車の販売をし、鹿児島のスーパーでは年間3,500台・月間300台・1日10台と驚異的な販売数です。

このヤマダ電機は電気自動車になれば、自動車は家電と捉え本格的に販売するそうです。

ではスーパーや家電店で自動車が販売されるようになると、自動車ディーラーは負けじと、タイヤ付きテレビを販売するのでしょうか?。それではエコカー減税の対象にはなるのでしょうか。

飲食店チェーンのワタミが老人ホームの経営に参加するなど、業界の壁は取り払われて行くことは間違いありません。

しかし寒い冬を3ヶ月後に控え、特に厳しい雇用環境の中で、余り壁が取り払われると北風がビュービュー吹き込んで凍え込んでしまい、より景気は悪くなりそうです。

厳しい冬を乗り切るために食欲の秋を満悦したいと思います。』おわり


「無ければないでよし。」

『私の部屋にはテレビがありません。子供が来て「お父さんテレビが無いの。最低。」と言います。このテレビの無い部屋とは事務所の二階にある私が泊まっている部屋のことです。勿論高山の自宅には古いブラウン管テレビがあります。

何故テレビが無いのか? その理由は私には余り必要が無いからです。「夜は何をしているのですか?」と聞かれますが、新聞や色々な情報誌を読んだり、仕事をしますし、交換メールも作成します。なんだかんだで時間が足らない程です。

テレビは見ても見流しするだけのことが多いのですが、新聞・書籍は読み返し、それをヒントにすることが出来ます。私の気づきの窓等多くの原稿や閃きはこの新聞・書籍を読んでいる時に生まれます。

しかし夢年齢35歳になると、少しづつ視力が落ち、活字が見難くなります。この眼の若返りもこれからの大きな課題の一つです。同時にメガネ式拡大鏡も準備しなければと考えています。』おわり


「若返るために?。」
『「松原さん。昆布で出来たクリームをネットで探して下さい。」とお願いしました。「はぁ?誰が使うのですか?奥さんですか?」「いや。私が使うのだ。」と言いますと「社長が?」と不思議そうな顔して見ています。

私は「このクリームがシミ・そばかすなどに効果があれば家内にも買ってやるよ。ようは私が実験台だ。」と言いますと、より不審な顔してインターネットとにらめっこです。

私は今年夢年齢35歳です。何故夢年齢?。私は昭和19年生まれの65歳です。この夢年齢35歳は100歳まで仕事をしたいと100引く65から出た数字です。

“如何にして若く、元気に日々過ごすことが出来るか。”そのためにはハード面(ジョイング等)とソフト面(顔・体の手入れ等)の手入れが男女を問わず大切です。

こんなことを考えていますと「社長。見つかりました。3,150円です。」家内の承認を必要としないギリギリの金額です。「では注文して下さい。」とお願いしました。

さあ果たして、このクリームで多いに若返ることが出来るのか?、吉と出るのか?凶と出るのか?多いに楽しみです。』おわり


「どこからお茶が?。」
『先日イオンへステーキチャーハンの店がオープンしたとのことで、社員と食事に行きました。ステーキチャーハンを注文し待つていますと「今日は浮気ですか?」と合い向かいの店長が麦茶を持って来てくれました。

松原さんが「えぇ!何故向かいの店長が麦茶を持って来るのですか?。」と不思議そうな顔をしていますと、内木さんが「社長はこの辺の顔ですから。」と答えますと、松原さんはより不審そうにして麦茶を頂いていました。

私は母親似で身長175㌢・体重85㌔で、20代頃よく北アルプスへ登山をしました。その影響か?肩幅が広く、がっちりした体格です。雪国高山から北へ40㌔の神岡で育ちましたので、雪が降ると「かんじき」を履いて道をつくります。この癖が付いたのでしょうか?かんじきを外しても、かんじき歩きになります。

飛騨では子供の頃からお経を習います。又謡い・詩吟も盛んで私は20代の頃から習いました。このため声が大きく、よく通ることから決して内緒話はできません。

大きな体に大きな声、そしてかんじき歩きとくればどこでも目立ちますね。多美ちゃんのブログの中で少し小さくなっています。


「てきない。」
『「てきない。」と言われてもなんのことか解らないと思います。私は出張中に近鉄奈良駅でてきなくなり入院しました。その原因は暑さと疲労によるものでした。意識不明となりましたが、無意識の中で発していた言葉が「てきない」です。
意識が回復し先生の第一声は「てきないとはどういう意味ですか?」でした。私は「このてきないと云う意味は飛騨弁で苦しいと云うことです。」と答えますと、先生は「できれば標準語でお願いします。」と言われ看護士さんもうなずいて見えました。

この病院では一晩入院し、何本もの点滴を打ちました。私が意識が無いことを案じ自宅に電話して下さいました。家内は驚いて奈良に出掛ける準備をしだそうです。意識が回復しすぐに自宅に電話し、家内に「もう大丈夫だから出掛けないように」と言いました。

それを聞いていた先生は「下裏さん2・3日の入院が必要ですよ。」と言われましたが、翌日の夕方に退院し自宅に帰りました。やはり先生の言われた通り体調不調が続き1ヶ月休みました。その時は仕事への焦りと…。



「PET検査異常なし。万歳!」
『昨日PET検査の結果が送られて来ました。「万歳!異常なし。」です。この結果が出るまでは少しヒヤヒヤしていたのが本音です。癌を防止するために?これからは雁(ガン)や鴨を食べないように注意します?。

当社社員松原説によりますと、この検査で異常が無ければ、まず5年間は安心とのことです。本当に有り難いことです。癌は若い程進行が速いと言われます。5年後は夢年齢30歳と5歳若返りますので特に注意します?。

癌はこれで一安心ですが、これからは癌以外の糖尿病・高血圧や交通事故に日々注意して行かないければなりません。夢年齢30歳のお祝いが元気にできるように頑張ります。

では今回受けた検査結果の詳細報告をいたします。「PET/CTの所見:FDGPET(全身)異常集積なし・診断:異常集積なし、血液検査:異常なし、便血潜:異常なし」でした。私は年2回から3回献血をし、6年間の結果をパソコンでデータ管理しています。今回の結果もしっかりとデータ管理して健康に気を付け頑張ります。


「若返りが成功するか?」
『先日ネットで注文していた若返りのクリームが来ましたので使い初めました。朝はひげ剃り後に洗顔クリームで洗顔し、若返りクリームを使います。夜は寝る前に洗顔クリームで洗顔し、若返りクリームをつけます。

まだ使い初めて3日目ですからその効果は分かりませんが、朝起きて顔を洗うとすべすべします。夢年齢35歳のお父さんが鏡とにらめっことは時代も大きく変わりました?。

昨夜驚く電話が入りました。「社長!イノシシが車に体当たりして来ました。私に怪我はありませんが、車はバンバを取り替えなければならないほど重症です。」「それでイノシシは?」「車を降りて見ますと姿はありませんでした。」

乗鞍岳の畳平では熊が大暴れし、怪我人が出るなど思わぬ所に動物が出没します。これも人間の自然破壊の影響でしょうか?。人間と動植物が大自然との共生を願うばかりです。


「ニシンを頭から?」
『食欲の秋を迎えました。私の大好物の魚は、サンマ・イワシ等の輝物です。頭からがぶりとかぶりつき食べます。そしてナシ・リンゴ等の果物は大好物です。リンゴは11月から毎日一個は食べます。

東京にいた頃、こんなエピソードもありました。仲間と昼ご飯を食べに行き、焼き魚定食を注文しました。その定食に出てきた焼き魚は大きなニシンでした。私は大きな口を開け、頭からがぶりと食いつきました。それを見ていた仲間は只今唖然としていました。

皿の上には骨の欠片も残っていません。店員さんが「スミマセン。直ぐ焼き魚を持って来ます。」と言いなり走って行きました。「もう焼き魚は頂きました。」と言うヒマもありません。

そして前よりも大きなニシンを持って来ました。私は「焼き魚はもう頂きました。」と応えますと、店員さんは焼き魚の皿を見てびっくりした顔で、「どうぞもう一匹食べて下さい。料金は頂きませんから。」と言われ、二匹目も頭からきれいに頂きました。

世界には食べ物が無くて餓死する人は何百万人といます。しかし日本を初め先進国の多くでは、食べ物を食べ残し破棄しています。戦後の食べ物が少なかった時代に育った私は、サンマ・イワシ等は頭から残さず食べる、それが同然と考えています。多少の食糧難の時代が来ても生き残ることは出来そうです。


「仕事が趣味?」
『「先生の趣味は何ですか?」との質問を受けますが、その答えに考え込んでしまいます。私にはこれと云った趣味が無いのです。

「人生一つくらい趣味がないと寂しさよ!」と聞きますが、負け惜しみではありませんが、夢年齢35歳にしてその寂しさはありません。「ではあなたの趣味は何に?」それを考えると、行き着くところは、今行っている企業活性化コンサルティングの仕事です。

私が考える仕事とは「自分の夢を叶え、お客様の夢を叶え、そこに働く人の夢を叶えること」です。正に今の仕事が私に与えられた天職です。こんな素晴らしい趣味?を与えられたことに、心から感謝しております。

この趣味?に興味を持ったのは、今から53年前の中学2年の時でした。父が42歳で失明し、第二次世界大戦の戦友の方がお見舞いに来て下さいました。その方が経営コンサルタントでした。

父もその方に憧れていたのだと思います。その父の夢と私の夢が一致し、長いコンサルタントへの「夢挑戦」が始まりました。そしてコンサルタントと独立したのが実年齢43歳です。その時30年が経過し、父は独立する前年に亡くなり、残念ながら私の晴れ姿を見せることは出来ませんでした。見る夢は必ず叶いますね。私の人生訓は「人生稲のごとし 実りの秋を信じて歩む」です。自分で作り人生訓としているのですから笑い話です。