無心

「無心」とは「邪念が無いこと」とありますが、日々の生活の中で「邪心」を捨てることは中々難しいことです。しかし、仏壇や神棚・神社仏閣へお参りする時は、一瞬ですが「無心」になり、邪心が消えることがあります。

何故?朝晩神仏に手を合わせるのか?それは気づかぬ間に「無心」という心の安らぎを求めているのではないかと気づきました。しかし「無心」になるにも、不思議ことに「パワー」が必要です。それは「邪心」を払いのけるパワーです。

この「邪心」を払いのけるパワーが湧かない時は、一日中神仏にお参りしないこともあります。神仏に手を合わせることは、簡単なようで中々大変なことです。

この「無心と邪心」は不思議な力を持っています。それは無心と邪心は「閃き」を育ててくれる温床になってくれるからです。正に無心と邪心のバランスが大切であり、無心と邪心が上手く釣り合った時、この「閃き」が生まれるのではないかと考えます。

今日も無心と邪心との闘いを楽しみながら、何が閃くのか?楽しみにして過ごしています。

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