変化 8. 文化の柱 ⑴ 感謝

縄文時代が永年に亘り、争いの無い平和な時代が続いた要因の一つが「感謝」という大きな「柱」があったからではないかと考えます。

千葉県の「加曽利貝塚縄文遺跡」では、食べた貝をただ捨てるのではなく、「貝塚」として大切に葬っています。これは貝の命をいただくことへの、「感謝」の現れであり、人の「生き様」そのものです。正にこれこそ「文化」です。

子供の頃、母から「一粒のご飯でも残すな。このご飯のお陰で命を繋ぐことが出来る。感謝しにや」と厳しく言われました。その教えを今も変わらず行い、子供や孫達にも「ご飯は一粒でも残すな!」と厳しく言っています。お陰様で一番下の小学校一年生の孫は「爺ちゃん。綺麗にご飯食べたよ!」と言ってくれます。この「躾」も「文化」の一つです。

中国で仕事をしていた時は、よく食事に誘われました。そこで驚いたことは、大皿に盛られた沢山の料理が、次から次と出てくることでした。箸を付け、暫くすると、沢山の料理が残った大皿が下げられてしまいます。

それは中国の「助け合いの文化」で、大皿に残った料理は、使用人に振る舞われていたのです。日本の「一粒のご飯も残すな」という「文化」とは、又一味違った「助け合いの文化」があることを改めて知りました。

                   続く

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千葉県千葉市の「加曽利貝塚縄文遺跡」で撮りました。