下さんは山梨県甲府商工会議所での講演をご縁にして、甲府市のお客様の活性化に取り組まれました。このお客様は知的身障者の方を7名雇用されていました。しかし、この知的身障者の方が持つ潜在能力をどう活かすかに、四苦八苦されており、それを導くための活性化依頼でした。
この依頼に、下さんも大分迷われた様ですが、お客様の熱意に押され、引き受けられました。そして試行錯誤しながら、知的身障者の方々が持つ潜在能力を引き出され、お客様の発展に大きく寄与されました。
この様なことから、甲府市は特に思い出に残る所で、甲斐善光寺様をお参り出来るご縁に、大変感謝して見えました。
甲斐善光寺様をネットで見ますと
「甲斐善光寺は、1558年(永禄元年)、合戦による信濃善光寺の焼失をおそれた武田信玄が本尊善光寺如来をはじめとする寺宝を山梨郡板垣郷に移したことに始まる
正式名称は、定額山浄智院善光寺(浄土宗)。開山は信濃善光寺大本願三十七世の鏡空。
1565年(永禄8年)に本堂が完成し、仮堂に収められていた善光寺如来の入仏供養が行われたという。
1582年(天正10年)、織田・徳川連合軍による武田征伐によって武田氏が滅亡すると、善光寺如来は織田・徳川・豊臣氏を転々としたが、1598年(慶長3年)に信濃善光寺に戻されている。
江戸時代の甲斐善光寺は、徳川家の庇護を受け、本坊三院十五庵を有する大寺院として栄え、浄土宗甲州触頭(ふれがしら)となった。
1565年(永禄8年)、武田信玄によって建立された伽藍は、1754年(宝暦4年)の失火により焼失。現在の山門・金堂は、1796年(寛政8年)に再建されたもので、いずれも重要文化財。」
とあります。