先日、高山別院照蓮寺様へお参りに行きますと、掲示板に三島輪番が書かれた写真の様な
疑惑とは「自分が信じたことは間違いない」
という確信として成立する
とありました。この言葉に少しショックを受けました。
何故なら「自分の信じた道を歩む」が、私の生き方だからです。しかし、いつも「これでよいのか?」と、迷うばかりです。
この掲示板の言葉からすると「いつも迷う」とは、「自分の道が間違いない」と確信していないことになります。
長い人生を歩んでいますと「この道で間違いない」と確信して歩んでいても、時として、全く違った道を歩んでいることがあります。それは、今回の掲示板の言葉の様に「間違った確信を持ったこと」にあります。
人は生きる上で、常に、この「疑惑」との闘いをしているのではないでしょうか?「これでよいのか?」との「疑惑」が、誤った道を修正する、大きな力になっていると考えます。
今日も又、己が信じた道を歩みながら「これでよいのか?」と、「疑惑」という検査薬で確認しながら、一歩一歩歩んで行きたいと思います。
疑惑とは 己の道の 検査薬
精度は誰も 知る由もなし