空の旅 2.阪神淡路大震災

フィリピンの次に長くフライトしたのは、阪神淡路大震災が発生した時で、30回以上乗った名古屋・上海空港までの3時間です。この時は中国合弁企業の活性化に2年間取り組み、多い時は月に2回行きました。

この初めての中国へのフライトの時は、阪神淡路大震災が17日に発生し、まだ神戸の街に煙が上がっている1月20日でした。昭和19年12月7日に発生した「東南海地震」の日に生まれましたので、初めての海外での活性化コンサルに出発する日に、地震に出逢うことに奇遇を感じると共に期待と不安が入り混じった心境になりました。そして震災で焼け野となった神戸の街並みを空から見た時は、何とも言えない悲壮感も味わいました。

この頃は名古屋空港から上海空港へは、中国の航空会社しか運行していませんでした。この飛行機は古く、客室乗務員の対応は無口で悪く、サービス精神も欠如していました。しかし一年後に大手の航空会社に変わり、機体もサービスも大きく向上しました。このフライトではよくエアーポケットに捕まり、食事をして居てテーブルが天井まで飛び、大騒ぎになる経験も何度かしました。

中国へは一人で行きましたが、初めのうちは上海空港の税関を通る時はビリビリしながら、何か問いかけられれば、どう応えればよいのか?そればかり心配しました。

しかし、何回か行くうちに、少し中国語も片言で話せるようになり、フライトも楽しめるようになりました。懐かしい思い出です。

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上海空港は新しくなりました。その空港をネットから借用しました。