行儀

飛騨では「今年の雪は行儀がいいなあ!」など「行儀」という言葉が色々な面で使われます。この「雪は行儀がいいなあ!」とは、雪が余り大雪にならず、少し降っては消え、少し降っては消える、という雪の降り方を言います。高山では12月中頃に大雪になりましたが、それ以降はこの言葉のように行儀のよい雪の降り方になっています。

子供の頃、両親から「行儀が悪い」と特に食事の時によく叱られました。その一つが、ご飯粒一つでも残していると「米は八十八の手を掛けていただくのだ。決して一粒のお米でも無駄にせず頂くのだ」ときつく教え込まれました。この「行儀」を躾けられたお陰で、孫達も一粒のお米も残すことなく頂けるようになりました。

今、この「行儀」が少し疎かになっているような気がしてなりません。この「行儀」の躾が疎かになったことで、回転寿司などの事件が発生する一つの要因になっているのではないでしょうか。

改めて「行儀とは何か?」を真剣に考える時代が来たような気がしてなりません。

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