城めぐり : 松倉城

昨日は良い天気に恵まれ、今年初めて、鶯や小鳥の声を聴き、森林浴をしながら「松倉城本丸跡」に登りました。「金華山・おおくら滝遊歩道・松倉城本丸跡」と、3日間連続の山歩きとなりましたが、余り疲れが残っていないことに感謝しております。

さあ!今日から岐阜で仕事です。

この「松倉城史跡案内板」には次のように載っています。

高山市街の西南、標高856.7メートルの松倉山頂に構築された山城である。高山盆地を眼下に見おろし、北は越中、南は岐阜、東は木曽、西は郡上に通ずる街道を一望のうちにおさめることが出来る。
本丸、内曲輪の四方と外曲輪の西側、南側に石垣が現存する。二之丸は本丸の東にあり、南側に旗立石と俗称する巨岩がある。東側と南側に石垣が残存する。三之丸は本丸の南にあり、西側、南側に石垣、西南隅に1段高く角櫓跡がある。南中間櫓が二之丸、三之丸の中間にあり、三之丸より1段低く、東、南、西に石垣が現存する。飛騨の里吾神池にそそぐ渓流をさかのぼるのが大手道で、下の七曲道と奥の七曲道があった。搦手は、千島町奥エチゴから登る。三木自綱の娘婿三木三沢の居城であった山下城との連絡路であった。永禄年間(一説には天正7年)に三木自綱が築城し、桜洞を冬城、松倉城を夏城と称した。天正13年(1585)、金森長近と可重の父子が南北両面から飛騨に攻め込んだとき、自綱は田中城に籠り、二男秀綱に松倉城を守らせたが、自綱がまず敗走し、ついでこの城も、家臣の返り忠にあい閏8月6日ついに落城した。」

とあります。こんな「松倉城」の栄華の夢を想像しながら、「松倉城本丸跡」を後にしました。

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