船の旅 2.新島

一番長く船に乗ったのは、40年ほど前に「新島」に行った時です。東京晴海埠頭を夜の9時に出て、新島に着いたのが、朝の9時でした。この時は海が荒れ、初めて船酔いをしました。

「何しに新島へ?」それは江戸時代に飛騨で起きた「農民一揆:大原騒動」で島流しにあった「上木甚兵衛」という先人に憧れ、演劇にしようと思い立ち、2泊3日で情報収集をするために行きました。

船を降りると教育長のお迎えを受け、その案内で島流しにあった先人の墓地に行きました。そこで驚いたことは、お墓が綺麗に掃除をされていたことです。教育長からお話を聞くと「毎日6年生が朝お墓の掃除をし、お花を供えています。」とのことでした。250年余りの年月が経つのに、毎日お墓の掃除をし、お花を供えてくださっていたのです。資料では、『上木甚兵衛は島民から「飛騨爺」として崇められていた。』とありました。幾ら崇められているとは言え、長い年月に亘り、墓の掃除してくださっていたことに、只々驚きと共に頭が下がるばかりでした。

残念ながら演劇にすることは出来ませんでしたが、この新島への船旅は、250年前の先人の素晴らしい生き方から、多くのことを学ぶことが出来ました。

f:id:swnm8:20230330194513j:image

今の新島へのカーフェリーをネットから借用しました。