先日、お彼岸の法要に高山別院照蓮寺様にお参りし、本堂で三島輪番が書かれた、写真の様な掲示板を見つけました。
風は見ることは
できないけれど
感じることはできる
これは当然のことですが、この言葉には、深い意味があるのではないかと考えました
その深い意味とは「眼には見えない大切なことを、肌で感じる力を付けなさい」という教えと捉えました。
毎日毎日、時という「風」が、絶えることなく流れています。この時という「風」が、流れていることを、ついつい忘れてしまいます。感ずることが出来ないのです。
ではどうすれば、この時という「風」を肌で感じることができるのでしようか?
それには「内に閉じ籠るのではなく、外へ出て沢山の「風」を肌で感じ、読む力を付けること」と気づきました。
来月から新たな夢に向かって、動き出そうと計画しております。この夢を叶えるためには、時という「風」を読む力を付けなければなりません。そのために時という「風」が、吹き荒れる東京に暫く滞在する計画です。
東京滞在で、新型コロナウイルスを恐れるのではなく、自己管理をしっかり行い、多くの「風」に吹かれ、肌で感じ、夢を叶える第一歩にしたいと考えております。
時という風は
いつも流れている
この風を肌で感じ
風を読む力を付けたい
この風を読めても
時には 吹き飛ばされ
時には 打ち砕かれる
今日も又
時という風は 吹いている
この風を肌で感じ 読み
夢を追う 力にしたい