味噌

父は失明するまで、味噌を製造する会社の専務をしていました。その時、私は小学5年生でした。このことから「味噌」には、大変思い入れがあります。

父が勤務していた会社は、味噌の製造と共にお酒類の販売もしていました。製造していた味噌は、白味噌に少し赤味噌を合わせた「合わせ味噌」でした。

飛騨地方は日本の真ん中にあり、味噌は合わせ味噌、餅は角餅もあり、丸餅もあります。不思議なことにお料理だけは、薄味の京風味でした。これは江戸時代に飛騨を治めた金森家から出、京の都で活躍し、お茶や料理、大原三千院のお庭を作った宗和流の家元「金森宗和」の影響が大きいと考えます。

父は酒造メーカーの招待でよく旅行に出かけました。その中で一番思い出に残っているのは「佐渡に行かれた時の相川音頭」です。

いつもお爺ちゃんや仲間と酒を呑むと、お爺ちゃんが三味を弾き「どうと笑うて立つ波風のハイハイ」と相川音頭を必ず歌われました。余程、父の中に佐渡の相川音頭が刻み込まれたていたようです。

こんな、父の思い出多き、合わせ味噌が入ったお味噌汁を今朝もいただきました。

   荒波を 超えて聞こえる 相川の

    三味の音色が  父と重なり

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左から笠ヶ岳穂高連峰です。