「あ!と思った時は?」

『2日前、事務所のお風呂で大失敗をしてしまいました。お風呂に湯を張っていることをすっかり忘れ、ブログに夢中になっていたのです。気づいてお風呂場に飛び込みますと、湯は湯船から溢れています。直ぐに止め、少しでも湯を無駄に出来ないと思い、頭も体も湯船に入る前に洗い、やっと湯船に浸かることができました。

私は何ごとも夢中になると、少し周りが見えなくなります。友人からは「いや下さんは、夢中になると全く周りが見えなくなるぞ!」と言われそうですが、その通りかも知れません。この傾向は二十代・三十代頃が一番強かったと思います。そして43歳で経営コンサルタントとして独立した頃から、少しづつ変わり、今は度を越して夢中になることは少なくなったと思いますが、それは私が思っているだけかも知れません。

私はこの夢中になることは、自己活性化を行う上で、必要不可欠な要素であると考えます。夢中になるものがあると云うことは「夢がある」と云うことです。しかし今、小学生から二十代の若者まで、夢中になっているのが携帯ゲームです。そのゲームは多種多様ですが、自分の夢を追って夢中になれるレベルの物もあると聞きますが、その多くは自己成長につながるとは考え難く、逆に部屋の中に閉じ籠もり、自分の殻にも閉じ籠もる、自閉症の子供を生み出すなど、子供の成長に大きな弊害になっていると考えます。

なぜ夢中になるものが携帯ゲームなどに変わってしまったのでしょうか?。それは豊かさ故に、仲間に気を使うことなく、一人で夢中になれる携帯ゲームなどが広がったと考えます。生活の豊かさと、心の豊かさが反比例している一つの事例であり、社会現象の現れであると考えます。』