「呼んで、呼ばれて!祭りが変わる」

『残念ながら14日・15日の高山祭は、桜満開ではなく、少し肌寒いお祭りになりそうですが、高山祭の最大の見せ場である、屋台の提灯に灯を入れ練り歩く、夜祭り巡行が出来ますことを祈っております。飛騨では各部落ごとに、お祭りが行われることから、自宅へ親戚・友人・知人を呼び合う風習があります。私も30キロ以上離れた、親戚や知人のお祭りに行ったこともあります。飛騨では「お言葉に甘えて、祭りに呼ばれて来たわいな」と挨拶し、仏壇にお参りします。そして手作りのご馳走でお酒を夜遅くまで頂きます。


自分の地区の祭りには、親戚・友人・知人を招待します。二十数十年前までは、今のようにスーパーへ行けば、ご馳走は何でも揃うと云う時代ではありませんでしたので、母や家内はその準備に大変な苦労をしました。貧しい生活環境の中にあって、呼び、呼ばれてご馳走を頂くことは、大人も子供も年に一度の最大の楽しみでした。この風習はバブル崩壊後から減りはじめ、今は無いといつてもよいほどに減りました。

このような風習は親戚・友人・知人を結ぶ大切な絆であったと考えます。このお祭りに、呼び、呼ばれ、しなくなったことで、親戚が顔を合わせるのは、互いの肉親の葬儀や法要など本当に少なくなりました。お祭りと云う五穀豊穣を祝って、顔を合わせる目出度い顔合わせから、故人の冥福を祈って顔を合わせる悲しい顔合わせに変わりました。

陸の孤島と言われた飛騨高山も東海北陸道は全線開通し、東海縦貫道も高山まで部分開通しました。このように日々の生活を取り巻く環境は一変し、交通アクセスをはじめ、全ての面で、便利で豊かになる生活環境が、本当に幸せなのでしょうか?。お祭りと云う、1つの風習を捉えても、利便性を求める社会が、私達の心の絆をなくしつつあるように感じてなりません。もう一度心の絆とは何か?、しっかりと考えてみたいと思います。』