「人生は出会いで決まる」第9回

『活性化第1日目から大変な問題が発生しました。私の活性化の柱である意識改革は、中国では思想改革と捉えられたのです。董事長(日本で言うところの会長)は「この活性化は受け入れられません。」と凄い剣幕でした。その時同行していた女性の通訳が直ぐに機転を利かし「私が上海の自宅に行って父と母に相談して来ます。心配しないでホテルで待って下さい。」と言って出かけました。

意識改革の件は通訳の杜(トウ)さんの尽力のお陰で無事解決できました。杜さんは上海の実家に帰り、お父さん・お母さんに今回の件を話されました。お父さんは上海で大きな国営会社の総経理(日本で言うところの社長)、お母さんは上海の大きな中学校の校長先生でお二人とも上海の名士でした。この杜さんのお父さん・お母さんが関係各所と話し合って頂いたお陰で「樽式活性化法の意識改革は思想改革ではない。」とお墨付きを頂きました。

しかし董事長はこのお墨付きに余り賛同出来なかったようで、活性化の1年目は何時も疑心暗鬼な眼で見ていました。しかし2年目に業績が上がりはじめると少しずつ態度は変わりはじめました。そして2年の活性化研修が終了し帰る時は「下里総経理(中国ではこのように書いて“シャーリーゾンギンリと言います”)は私の老友です。」と最大の賛意を現されたのです。この言葉で2年間の苦労も吹き飛びました。』